永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

クリスマス やがて来るであろう春を待つ 有島武郎

『君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。 有島武郎

「春」という季節は、良いイメージを感じる人が多いように思います。

日本では寒さも緩んで「桜」が咲いたり「新学期」「新年度入り」があったりして、イベントも増えますからね。

「雪が降ると何が来る?」という問いかけに「春が来る」と応答したという話を聞いたことがあります。

今日はクリスマスです。最近は、11月になると街中にクリスマスの飾りとクリスマスソングが聞こえるようになりました。

何でも、前倒しですね。クリスマスケーキの予約も随分前から受け付けています。何はともあれ、クリスマスをお祝いできるのはスゴいことです。

その理由は、クリスマスこそ、暗黒時代を生きている人にとって「春」の希望を感じるような明るい出来事だったからです。そして、それは、クリスチャンと呼ばれる人たちだけではなく、全人類のために用意されたイベントだったからです。

ご縁があって、この記事を読んでいらっしゃるあなたもその一人なのですね。

あなたのために、旧契約時代に預言されていたメシアであるイエス・キリストが、マリヤの肉体を通って、肉体に宿り、この世に誕生されたのをお祝いする日なのですからね。

それが、約2000年前、100%神であり、そして、100%人として、ローマ帝国の属国となっていたイスラエルでのことでした。そして、やがて全人類の罪科を支払うために、唯一の生け贄として、十字架に架かり死に、葬られ、三日目に復活されたのです。

このストーリーは、不思議に満ちています。旧契約聖書の最初の創世記に書かれてあることが起きたのですからね。

唯一無二の御方として、完全な肉体的な死、そして、血のすべてを注ぎだしたコトによって、旧契約の羊などの犠牲の生け贄を不要とする完全な罪科の支払いを完了させたのです。いわば、旧契約の犠牲は影であり、本体は十字架に架かったメシアであるイエス・キリストだったのですね。

クリスマスは、正に、このメシアであるイエス・キリストがこの世に出現したことの記念日となっているのですね。 全世界で信仰にかかわらずにお祝いするにふさわしいイベントなのでしょうね。