永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

創造主である神【主】の愛を知る 箴言3:11-12

『11 わが子よ、【主】の懲らしめを拒むな。その叱責を嫌うな。
12 父がいとしい子を叱るように、【主】は愛する者を叱る。 箴言3:11-12新改訳2017』

創造主である神【主】と縁さえ感じない人が多い世の中です。

一口に、キリスト教と言っても、実に多様な価値観があり、信仰はそれぞれの確信に基づいているのだと言うことを感じさせられます。

父親をどの様に感じるかが、その人の人生に大きな影響を与えると言っていた人がいました。

その人によると、「父親の愛が込められた厳しさを知らない人が道を踏み外すのではないか?」という主旨の話でした。

でも、父親の威圧的な態度やモラハラ的なアプローチによって家庭を支配している時に、多くのトラブルが起きるということもよくあるケースです。

虐待は連鎖するとも言われますが、「負」の要素だけが連鎖して、どんどんいのちの危険が高まるという懸念もあります。

「叱られる」とか「懲らしめる」ことは、「愛」がこもってこそ、意義深いことになると考えています。

放任主義の家庭も多く、それでも、問題行動に至らないケースもあるようですが、それは、適度な家族間の関心がうまく作用しているケースなのかも知れませんね。

親も、子も、自分のやりたいことを好き放題していると、どこかで、何かの問題が出てきます。

この箴言では、父性(親)の背後に創造主である神【主】の存在があり、その「愛」があることが土台になっています。

そのルートでの「愛のこもった叱責」を大切にしたいですね。

感情まかせのマウントをとるだけの威圧や暴力はかえって逆効果で、ちゃぶ台返しは目も当てられませんからね。

自分にとって、辛く感じることでも、その背後にある愛を感じられれば、受け入れられるのだと信じたいです。

そのためには、自分自身がその叱責を心の中心に受けとめて、生かしていく必要がありますね。

この愛の源である創造主である神【主】は、人類に罪からの解放を確立し、永遠の住まいを備えて下さる御方なのです。

ですから、そのすばらしい永遠の住まいに通じる道を歩んでいけるように、愛のこもった叱咤激励をして下さるのです。

懲らしめに感じるコトでも、味わってみると美味しかったり、その中にすばらしい宝物が隠れていたりする事もありますから、それをチャンスと捉えて、拒むことがないようにしたいと考えています。

思いやりが伝わるコミュニケーションを極めたいですね。