『お互い生きることに疲れている病人だという自覚あってはじめて家庭のささやかな幸福が見出される。亀井勝一郎 『愛と結婚の思索』(大和書房)』
思いやり溢れるフレーズですね。
人間は、身体は一つ、生身の身体ですから、ずっと健康で居られるかどうかは、保証の限りではありません。
それを理解した上で、現実的に、ぬくもりのある家庭環境を目指すためには、大切な考え方です。
この文章を書いているのは2023年ですが、世間の話を聞いているとゆとりがなくギリギリの生活をしている様子が伝わって来ます。
結婚をして、共働きで、家をローンで買って、子どもを幼児保育してもらって、子どもが熱が出したら、自分たちの両親を頼って預かってもらうと言う話を聞きます。
また、親御さんに頼れないケースは、熱を出したら、夫か妻が仕事を切り上げて、保育園に迎えに行くというのです。
朝早くから、夜遅くまで、外に居て、家でくつろぐ暇もなく、仕事がない日は、疲労回復とばかりに寝ているのだとか?
日本は、世界の中で貧困というカテゴリーに入る時代になったとも言われますから、何ともイヤハヤです。
そのように、目が回るような日常生活は、健康が保たれてこそです。
健康を損なうことが起きれば、ガラッと生活が変わることでしょうね。
今の時代は、本当に「五里霧中」だと感じます。
だからこそ、共働きのフル稼働をするというのも必要不可欠であるという考え方は理解しているつもりです。
それならば、プランBも考えておく必要もあるように感じています。
自分たちの病気や両親のケアや介護なども、想定の中に入れていくと全体図の景色が変わってくるのではないでしょうか?
同居や敷地内別居などの選択肢があれば、要検討でしょうね。
そうでなくても、自分たちがもっているパズルのピースを定期的に入れ替えてみる試みも必要になるかも知れません。
何を選択するにしても、お互いに思いやれるぬくもりを大切に考えていきたいですね。
亀井 勝一郎(かめい かついちろう、1907年(明治40年)2月6日 - 1966年(昭和41年)11月14日)は、昭和期の文芸評論家、日本藝術院会員[1]。当初は左翼的政治運動に参加したが転向し、仏教思想に関心を深め、文芸評論や文明批評で活躍した[1]。「日本浪曼派」を創刊。著書に『大和古寺風物誌』(1943年)、『現代史の課題』(1957年)など。