永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

孤立は死への道 司馬遼太郎

『自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。 司馬遼太郎

孤独死のニュースをたまに耳にします。長生きをすれば、いつかは単身で生活することになるでしょうから、他人事とは思えません。

また、肉体的死は避けて通れませんから、周囲にご迷惑をおかけしないように考えて工夫をしておきたいと考えています。

でも、その前に、このフレーズについて考えてみたいと思います。

人間は、十月十日母の胎内で育まれ、鼻からスイカが出るくらいの苦痛を伴って、産み出されます。

この時は、母親が一緒でした。

生命の誕生を誰かが取り上げ、保護者が育てます。ここでは、保護者が一緒です。

自立期を通過し、成長していく過程でも、周囲には誰かがいます。

相互監視社会というと、気持ち悪くなる人もいるでしょうけれど、現実はお互いの存在を意識して、生活しています。

何らかの関わりがあってこそ、生きられるという現実があります。

この現実を言い表しているのが、このフレーズなのだと思います。

でも、ある時に、相互監視社会に疑念や不快感を抱くと、引きこもりたくもなります。

このような状況に至ったとしても、完全に人間関係を遮断することはレアケースです。

買い物に行けば、店員さんがいますし、周囲の人と何かのコンタクトはあるはずです。

これさえも鬱陶しいと感じる精神状態は、かなりキケンかも知れませんね。

無人レジが急速に普及していますから、それらが当たり前になれば、自ら積極的に関わりを求めなければ、一人で安住の地で暮らせるのかも知れません。

リモート環境でのコンタクトやネットゲームを介しての匿名の対話でも孤立は避けられる可能性はありますね。

余談ですが、最近はあらゆるサービスのサポートが「AI」などで省力化されています。オペレーターと話をするのも一苦労することがあります。本当に何とかなりませんかと言いたくなる時があります。

 

司馬 遼󠄁太郎(しば りょうたろう、1923年〈大正12年〉8月7日 - 1996年〈平成8年〉2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名は福田 定一(ふくだ ていいち)。筆名の由来は「司馬遷に遼󠄁(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
大阪府大阪市生まれ。産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』などがある。『街道をゆく』をはじめとする多数の随筆・紀行文などでも活発な文明批評を行った。

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