『子供はすべての動物のうちで最も取り扱いがたし。なんとなれば、子供はまだ鍛錬されざる思慮の泉を最も多く持つゆえに、動物のうちで最もずるく、すばしこく、高慢であるからなり。 プラトン【法律(岩波書店)】』
「私は子供が嫌いだ」という歌を思い出しました。確か、伊武雅刀さんが歌っていたと言う記憶があります。
うろ覚えなので、調べてみたら、「子供達を責めないで」というタイトルで、歌唱(語り)は伊武雅刀さんでしたが、日本語詞は、なんと秋元康さんでした。この子供は、作詞者本人がモデルなのだそうです。
『私は子供が嫌いです。 子供は幼稚で礼儀知らずで 気分屋で 前向きな姿勢と無いものねだり 心変わりと 出来心で生きている…』
今の時代なら、クレームの嵐でしょうが、その内容はユーモアがあり、自分が子供だったことを否定したいような衝動が溢れています。
それは、大人になった不自由さを嘆く表現でもあるし、裏返せば、子供の自由さ、天真爛漫さを恨めしく思う気持ちが溢れています。
そのような認識は、紀元前400年代に生きたプラトンも同じような感性だったのかも知れません。
「哲学的子供のトリセツ」なのでしょうね。
「動物のうちで最もずるく、すばしこく、高慢である」と言うのは、法律にも縛られず、世間体にも縛られない自由な環境があることが逆説的に表現されているように感じられます。
その根拠として、「子供はまだ鍛錬されざる思慮の泉を最も多く持つゆえ」と記されているのは、あらゆる可能性に満ちあふれている状態であることも指摘しています。
ですから、動物の中でも取扱が難しいと提起しているのです。
成長をすれば、自分の得手不得手がわかり、自分の生き方を工夫して、自分との調整をはかります。
また、家族や世間的にある程度の評価が得られる位置に自分のポジションをとろうと努力します。
その所で、もう一人の自分との葛藤でもあるのですが、なんとか無難な所を探り続けます。
一方、それらにいっさい縛られずに、自分の可能性を追い求める人もいます。天真爛漫さ全開の「全力少年」のようなライフスタイルです。そのような人は「何歳になっても落ち着かない」と揶揄されても、どこ吹く風で、一生突っ走り続けることでしょうね。
プラトン(プラトーン、古代ギリシャ語: Πλάτων、Plátōn、羅: Plato、紀元前427年 - 紀元前347年)は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。
プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた[注 1]。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。現存する著作の大半は対話篇という形式を取っており、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする[1]。
青年期はアテナイを代表するレスラーとしても活躍し、イストミア大祭に出場した他、プラトンという名前そのものがレスリングの師から付けられた仇名であると言われている[2]。