永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

ずる賢い知恵者 vs 正直者 ドストエフスキー

『愚かさというのは簡単だし、他愛ないけれど、知恵はずるく立ち回って、姿を隠すもんだよ。知恵は卑怯者だが、愚かさは生一本で、正直者だからね ドフトエフスキー』

「人間は浅はかで愚かだ。」と感じている人は多くいると思います。

しかし、自分に対して、その言葉が向けられると、「そこまでではありません」と反応してしまいそうになりませんか?

「自分は賢くて、他人は愚かだ」という考え方が、どこかにあるのが、そうさせるのでしょうね。

両面共、持ち合わせているのが人間だと理解しています。

人間が成長して、少し知恵がついてくると、それを何に使うのでしょう?

そのような問いかけが聞こえるようです。

ドフトエフスキーのフレーズによると「知恵はずるく立ち回って、姿を隠す」と言っています。

何だか、よくわかりますね。

どうしてか?

それは、私の中にも、それがあるからです。

多くの場合、賢さや知恵は、悪用されてしまいます。

愚かで正直な方が素だし、理想なのに、偽りの衣を着て、実体を覆い隠そうとしてしまいます。

それは、まるでエデンの園のアダムとイブのようですね。

絶えず、自分の愚かを誰かに責められているような感覚がある人もいます。

でも、自分の愚かな部分を認めるだけで、自責感は薄くなります。自己受容ですね。

そうすると、知恵を無駄に悪用せず、有効活用できる可能性が出てきます。

後世に名を残す文豪は、人間の実体を巧みな文章で描写しています。

時代が多少変わっても、人間は同じ人間なのですね。


カラマーゾフの兄弟 新潮社

『カラマーゾフの兄弟』(カラマーゾフのきょうだい、露: Братья Карамазовы)は、ロシアの文学者フョードル・ドストエフスキーの最後の長編小説。