永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

献げることの本質 出エジプト35:4-36:7

『彼らは、 聖所を造る奉仕の仕事のためにイスラエルの子らが持って来たすべての奉納物を、モーセから受け取った。しかしイスラエルの子らは、 なおも朝ごとに、進んで献げるものを彼のところに持って来た。そこで、聖所のすべての仕事をしていた知恵のある者はみな、それぞれ自分がしていた仕事から離れてやって来て、モーセに告げて言った。「民は何度も持って来ます。【主】がせよと命じられた仕事のためには、あり余るほどのことです。」それでモーセは命じて、宿営中に告げ知らせた。「男も女も、聖所の奉納物のためにこれ以上の仕事を行わないように。」こうして民は持って来るのをやめた。手持ちの材料は、すべての仕事をするのに十分であり、あり余るほどであった。(出エジプト35:4-36:7新改訳2017)』

イスラエルの民は【主】からの命令に応答し、自発的に有り余るほど、献げました。

その態度は、直前に金の子牛事件を起こした民とは想像できないほどの転身でした。

出エジプトの真の目的は、創造主である神を礼拝する民を育てるためでしたから、そのために必要不可欠な幕屋を建設するということは重要なテーマでした。

もちろん、【主】のゆるしがあり、【主】の臨在が戻るコトへの期待がそのような行動に向かわせたのでしょうか。

金、銀、青銅、青、紫、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、ともしび用の油、注ぎの油、香り高い香のための香料、エポデや胸当てにはめ込む縞めのうや宝石(出エジプト25:3-7)の15種類。

これらが、幕屋建設に使用される原材料でした。

それらは、イスラエルの民が長年エジプトで苦役をしてきた対価として友好的に持ち出した品物の一部でした。

献げる基本姿勢は、誰もが自由に、自分の能力に応じて、心から進んでするのです。これが、健全な献げ物です。

また、材料だけでは、形になりませんから、その技術を持ち合わせた芸術家集団を選び、「知恵と英知を授けられた(出エジプト36:1)」のです。

つまり、幕屋の建設は、【主】の命令と、イスラエルの民による応答の献げ物、知恵と英知を授けられた芸術家集団によって、為されることになったのです。

【主】の必要は、必ず満たされることになっています。

この知恵と英知に満たされた芸術家集団も、本来の生業から離れてかり出されたのですが、多くの祝福を得たのだろうと想像します。

いつの時代にも、【主】の御心に沿った働きであれば、不思議な方法で満たされるのです。

そのタイミングは、人の都合ではなく、創造主である神のタイミングで訪れますので、非常に感慨深いと受け止める人が多いのではないでしょうか?

もし、【主】のために絶対必要と思い込んでも、自分の欲求のみに従っていたとすれば、いつの日にか、何かの違和感に気づくことでしょうね。