永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

言語外コミュニケーションが9割?

「見た目が9割」という本がありました。

「顔をピカピカにすると注目度が上がり魅力的になる」などを考えれば、確かに、そのような一面もあります。

それはさておき、コミュニケーションについて考えてみたいのです。

言葉で伝えることは非常に大切です。

でも、日常生活では、言語外の手段で伝わっていることもあるのではないでしょうか?

「目は口ほどにものを言う」とか「表情が曇っていた」など、元気に振る舞っていても、その人の現状と内面を感じる情報があります。

その人を見送って「背中に哀愁が漂っている」ということもあります。

また、「沈黙」を共有できる間柄も貴重な存在なのかも知れませんね。

同じ言葉を使っても、発信者や受取手の関わりによって、伝わるものは違うコトが多いです。

いつも「余裕があってニコニコ」とはいかないのが人間です。

余裕がないタイミングで、あまり馴染みがない方に、少し粗野な言葉と態度をとれば、怪訝な顔をされたりするのも当然のことです。

普段から、お付き合いがある人に、同じような接し方をしても、大目にみてくれることもありますね。

お互いに、差し出される「情報」や「モノ」にも、さまざまなコトが隠されていることが多いですね。

それは、受取手の大好物だったり、感謝の気持ちだったり、相手への配慮に溢れたコトが伝われば、より良いコミュニケーションになります。

その人に会うときに、着ていく服などにも、自分の隠れている気持ちがありますね。

相手を喜ばす目的の場合もありますし、自分の喜びの表現だったりもします。

人は、気持ちが言葉にできないときに、何かのシグナルで察して欲しいと、心のどこかで叫んでいるのかも知れませんね。

言葉のキャッチボールをしながら、気持ちのやり取りをしている意識を持つと、もっと何かを感じられるのではないかと考えています。