『どんな人でも生きている限り存在の必要がある。 エマーソン』
存在価値は誰が決めるのでしょうか?
世の中には、評価のものさしが多くあります。
でも、一番大切なのに、一番忘れられている評価があります。
それは、自己評価です。これは、自分の存在承認のことです。
その理由は、「自分なんて…」に代表される、自己を卑下するマインドにあります。
等身大の自分を自己受容するのは、ある意味難しいです。
自分を過小評価する人が多い中、自分を過大評価して大きく見せようとする人もチラホラいるからです。
どちらにしろ、人間は自己評価の狭間で葛藤を抱えています。
人間はそれぞれが生きているのですが、私は、その実、いのちを与えられて生かされている存在だと考えています。
その考えに立てば、すべての存在に必要性があり、意味があるということが理解しやすいと思います。
すべて、ケアをされなければいけない赤ちゃんでも、周囲から愛を引き出す存在として重要です。
最近は、愛では無く、虐待を引き出してしまうと言う悲報がありますね。それでも、何らかの反応が起きているのです。
私は、一人ひとりが、虐待環境ではなく、健やかに成長できることを望みます。
「生きていてこそ」という言葉には、色々な意味を感じます。
これは、存命か否かを表現しているのでは無くて、その人が記憶の中に生きて働きかけているかどうかのニュアンスも感じます。
遙か昔の人のポリシーが、後世に影響を与え続けることが多くあるのですね。
歴史的インパクト最大と言えば、メシアであるイエス・キリスト、その人です。時代の中心となり、今もなお、語り継がれているのですからね。その存在を消そうとする動きは、絶えずあるようですが、実現するコトはないと考えています。
それぞれの存在価値を適度な距離感で感じ取っていきたいですね。
ラルフ・ウォルドー・エマーソン(Ralph Waldo Emerson [ralf ?w??ldo? ??m?rs?n]、1803年5月25日[1] - 1882年4月27日)は、アメリカ合衆国の思想家、哲学者、作家、詩人、エッセイスト。無教会主義の先導者。娘のイーディス(Edith Emerson)がウィリアム・ハサウェイ・フォーブス(英語版)と結婚し、エマーソン家は一層格式の高い門閥となった。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/ラルフ・ワルド・エマーソン 参照 2021年11月16日)