永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

馬鹿を避けても賢明とは限らない ラ・ロシュフコー

『一つも馬鹿なことをしないで生きている人間は、彼が自分で考えているほど賢明ではない。 ラ・ロシュフコー

賢明に真面目に生きているつもりでも、周囲からは、どこか間が抜けていると感じられているのでしょうね。

人間は、他社評価に対して非常に敏感だと考えています。

「自分は、人にどのように見られようが関係ない!」と言いながらも、身なりを整えておしゃれをしたり、ファッションにコストをかけたりしますからね。

中には、「自分が気に入った格好をする」という方もいらっしゃいますが、自己評価を上げるために、あるいは、下げないために必要なコトと考えているように感じます。

格好もそうですが、自分の立ち居振る舞いも、他者から悪目立ちしないために抑制をしているのでしょうか。

筆者が大切だと感じているのは、他者から「馬鹿だね。」と言われたとしても、自分の意志で選択することです。

「馬鹿だね。」という評価だけを避けようとすると、身動きさえもとれなくなることも出てくるのではないでしょうか?

あえて、「馬鹿だね。」という評価を引き出す行動は子どもじみています。

しかし、「ウケ」狙いではなく自分の状況に合わせた判断で、適切に行動することを積み重ねる必要が、それぞれの人生には必要のように感じますね。