永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

人間は「飽きる」「忘れる」「慣れる」

いつも美味しいと言っていたお菓子でも「もう飽きた」と思う時があります。

そばで聞いている人は「大好きだって言っていたのに」なんて反応しそうですね。

また、美人の妻は「三日で飽きる」などとも言いますね。

「忘れる」は、昔のことは記憶の奥に大事にしまってあって、よく出てくるのに、最近のことは、途中工事中なのか? その記憶に行き当たらないことやかなり遅れて思い出すこともあります。

そうでなくても、人生の記憶は大部分が忘却の彼方なのかも知れません。

「慣れる」については、自転車に乗るのに、何回もコケたりしながら、ケガをしながら体得した経験は多くの人が記憶にあると思います。体得には個人差があり、それほど苦労しなかったという人も、かなり傷だらけになりながら苦労したという人もいることでしょう。

でも、自転車を自在に運転しているとすれば、転んでケガをするかも知れない恐怖感をとっくに忘れ、自転車に慣れているということになりますね。

順序を考えてみると「慣れる」「飽きる」「忘れる」ということになるのでしょうか?

この経過には、当然、マインドの変化も起きていますから、恐いけれど挑戦する、上手くいく、その動作になれる、それを堪能する、そして、恐くて痛かったことなど忘れている、ということになりますね。

ゆとりがある時、または、あるきっかけで思い出したら、その時に味わったマインドを確認してみると、我ながら、その変わりぶりに、ビックリすることでしょう。

一見、ネガティブに見えるワードでも、色々な味わい方があるのですね。