永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

光と闇の世界観の狭間で マルコ8:34-37

『それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。自分のいのちを買い戻すのに、人はいったい何を差し出せばよいのでしょうか。(マルコ8:34-37新改訳2017)』

毎日の生活の中で、世界情勢が激変していく中で、光と闇が激しくぶつかり合っているイメージを感じます。

一人の人間として感じるコトは、光と闇のバトルは、闇が優勢だということです。

これには、無力感や徒労感を感じてしまいます。また、「自分の想像通りにならない」という現実もガッカリしてしまう要素の一つですね。

また、一人の信仰者の立場に立ってみると、「創造主である神の約束はいつ成就されるのか?」とか、「自分の実感として、闇の勢力が駆逐されたところを目撃したい」などと考えてしまいます。

でも、これは、自分が与えられている武器(両刃の剣)をむやみに振り回すだけになりかねないので注意したいところです。

高みの見物的な視点で言えば、「いつか闇の勢力は駆逐されるのだ。どこまで、闇の勢力ががんばるのかを見届けよう。」という客観的な考え方もできます。

実際は、創造主である神の計画は人が気づかないところで、確実に進展しているのですね。

その時に、少しずつ近づいているという思いで、今日も一日、明日の備えをして、コツコツと歩みたいものです。

信仰者の次のステップは、空中携挙ですね。