永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

日当1デナリという労働契約

『天の御国は、自分のぶどう園で働く者を雇うために朝早く出かけた、家の主人のようなものです。彼は労働者たちと一日一デナリの約束をすると、彼らをぶどう園に送った。彼はまた、九時ごろ出て行き、別の人たちが市場で何もしないで立っているのを見た。そこで、その人たちに言った。『あなたがたもぶどう園に行きなさい。相当の賃金を払うから。』彼らは出かけて行った。主人はまた十二時ごろと三時ごろにも出て行って同じようにした。また、五時ごろ出て行き、別の人たちが立っているのを見つけた。そこで、彼らに言った。『なぜ一日中何もしないでここに立っているのですか。』彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』主人は言った。『あなたがたもぶどう園に行きなさい。』夕方になったので、ぶどう園の主人は監督に言った。『労働者たちを呼んで、最後に来た者たちから始めて、最初に来た者たちにまで賃金を払ってやりなさい。』そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつ受け取った。
最初の者たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らが受け取ったのも一デナリずつであった。
彼らはそれを受け取ると、主人に不満をもらした。
『最後に来たこの者たちが働いたのは、一時間だけです。それなのにあなたは、一日の労苦と焼けるような暑さを辛抱した私たちと、同じように扱いました。』
しかし、主人はその一人に答えた。『友よ、私はあなたに不当なことはしていません。あなたは私と、一デナリで同意したではありませんか。あなたの分を取って帰りなさい。私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。』このように、後の者が先になり、先の者が後になります。」(マタイ20:1-16新改訳2017)』

この記事は、単にぶどう園の労働契約の公平性を表したモノではありません。

天の御国においての平等原則を説明しているのです。

労働契約は、日当、時間給、月給、日給月給などの様々な取り決めが存在します。

ここでは、日当1デナリという契約でしたから、時間給換算はしていないのですね。

農園主は、日当1デナリと言ったので約束通りの履行をしたのです。一方、朝から働いた労働者は、自分の皮算用として時給換算をしていたのですが、これは、契約上無効なのですね。

天の御国の原則は、恵(信仰)による救いによって、神の子としての権利が与えられるのですから、労働(行為)に対する報いではないということですね。

信仰者の場合、ベテランの信仰者も、信じたての信者も、同じ救い、同じ恵に預かるのですね。

『後の者が先になり、先の者が後になります。』とあるのは、有り難みもだんだん薄れていくという部分もあり、フレッシュな方に勢いがあるということでしょうか。