永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

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日当1デナリという労働契約

『天の御国は、自分のぶどう園で働く者を雇うために朝早く出かけた、家の主人のようなものです。彼は労働者たちと一日一デナリの約束をすると、彼らをぶどう園に送った。彼はまた、九時ごろ出て行き、別の人たちが市場で何もしないで立っているのを見た。そこで、その人たちに言った。『あなたがたもぶどう園に行きなさい。相当の賃金を払うから。』彼らは出かけて行った。主人はまた十二時ごろと三時ごろにも出て行って同じようにした。また、五時ごろ出て行き、別の人たちが立っているのを見つけた。そこで、彼らに言った。『なぜ一日中何もしないでここに立っているのですか。』彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』主人は言った。『あなたがたもぶどう園に行きなさい。』夕方になったので、ぶどう園の主人は監督に言った。『労働者たちを呼んで、最後に来た者たちから始めて、最初に来た者たちにまで賃金を払ってやりなさい。』そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつ受け取った。
最初の者たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らが受け取ったのも一デナリずつであった。
彼らはそれを受け取ると、主人に不満をもらした。
『最後に来たこの者たちが働いたのは、一時間だけです。それなのにあなたは、一日の労苦と焼けるような暑さを辛抱した私たちと、同じように扱いました。』
しかし、主人はその一人に答えた。『友よ、私はあなたに不当なことはしていません。あなたは私と、一デナリで同意したではありませんか。あなたの分を取って帰りなさい。私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。』このように、後の者が先になり、先の者が後になります。」(マタイ20:1-16新改訳2017)』

この記事は、単にぶどう園の労働契約の公平性を表したモノではありません。

天の御国においての平等原則を説明しているのです。

労働契約は、日当、時間給、月給、日給月給などの様々な取り決めが存在します。

ここでは、日当1デナリという契約でしたから、時間給換算はしていないのですね。

農園主は、日当1デナリと言ったので約束通りの履行をしたのです。一方、朝から働いた労働者は、自分の皮算用として時給換算をしていたのですが、これは、契約上無効なのですね。

天の御国の原則は、恵(信仰)による救いによって、神の子としての権利が与えられるのですから、労働(行為)に対する報いではないということですね。

信仰者の場合、ベテランの信仰者も、信じたての信者も、同じ救い、同じ恵に預かるのですね。

『後の者が先になり、先の者が後になります。』とあるのは、有り難みもだんだん薄れていくという部分もあり、フレッシュな方に勢いがあるということでしょうか。