永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

バプテスマのヨハネの役割 道備え

『そのころバプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べ伝えて、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言った。この人は、預言者イザヤによって「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われた人である。このヨハネはらくだの毛の衣をまとい、腰には革の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。そのころ、エルサレムユダヤ全土、ヨルダン川周辺のすべての地域から、人々がヨハネのもとにやって来て、自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。ヨハネは、大勢のパリサイ人やサドカイ人が、バプテスマを受けに来るのを見ると、彼らに言った。「まむしの子孫たち、だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で思ってはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。斧はすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。私には、その方の履き物を脱がせて差し上げる資格もありません。その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。また手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめられます。麦を集めて倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」
そのころ、イエスガリラヤからヨルダン川ヨハネのもとに来られた。彼からバプテスマを受けるためであった。しかし、ヨハネはそうさせまいとして言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに、あなたが私のところにおいでになったのですか。」しかし、イエスは答えられた。「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」そこでヨハネは言われたとおりにした。イエスバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ3:1-17新改訳2017)』

バプテスマのヨハネは、旧契約時代最後の預言者とも言われています。

肉体的には、イエスと遠縁にあたり、年齢差も6ヶ月しかありません。

バプテスマのヨハネの使命は、「主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ」と言われているように、「イエス・キリストの道備え」の役割を任されたのですね。

そして、「悔い改めのバプテスマ」を授けていました。バプテスマのヨハネが発する警告が厳しく受け止められる部分もありますが、よく読んでみると「私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。…その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。」と記され、「イエス・キリストは、救いとさばきの権威を持っている」と予告しているのです。

本当の意味での厳しさを考えるなら、100%人であり、100%神であるイエス・キリストの権威の方が圧倒的ですね。しかし、救いは恵により信仰によって与えられるもので、行為に対する報酬として与えられるモノではない原則もここから垣間見ることができるのですね。