永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

美は、その前の美を消さない 高村光太郎 「美について(角川書店)」

『美は次々とうつりかわりながら、その前の美が死なない。紀元前三千年のエジプト芸術は今でも生きて人をとらえる。 高村光太郎 「美について(角川書店)」』

エジプト文明は、時代を超えて、多くの人を虜にしています。

エジプト研究を長年している教授は、日本マネーで、現地の人を雇用しながら、発掘を続けていると聞きました。その魅力は、「ミイラ取りがミイラになる」と言われるほどの迷宮なのではないかと思うほどの光景にあるのかも知れません。

宝探しをテーマにした映画の舞台には、肝試し的なテイストで、ピラミッド探検がストーリー展開されることもあります。それは、秘密の塊であるピラミッドの魅力なのでしょうね。あるいは、魔力なのかも、、。

私は、「美」の基準を測りかねています。未だに、その定義を見出せていません。

しかし、自分がついつい見てしまう対象の中に「美」の要素が含まれているのだと認識しています。

このフレーズによると、それは「次々とうつりかわ」っていると言われています。

それでも、「前の美」が死ぬことはないと指摘されています。

それぞれの「美」と捉えることができれば良いのですが、これをどの様に受けとめて判断するかは、個人の価値観による所が大きいのだと考えています。

流行というものさしを加えると、流行廃りが出てきます。でも、不思議なコトに、時代は巡ると言いますか、何年かのサイクルで、以前の傾向が、トレンド入りすることがありました。

これも、前の美が死なないという証左なのかも知れませんね。

人間には、何かを「美」と捉えたり、表現できる能力が備えられていて、それらが、人間の歴史を作っていると考えると、時代の移り変わりと、その「美」の評価に、矛盾など無いのでしょう。

今の時代は、特に多様性をどの様に受け入れるかが問われ、評価される時代ですから、客観的な視点が必要なのだと考えています。

それぞれの「美」があり、それが積み重ねられているとイメージして、自分が「美」だと感じるものも大切にする主体性を大切にしたいですね。

また、「美」に対しての他者評価は、気にしすぎないという鈍感力も大切にしたいですね。

豪華絢爛が「美」と捉える価値観もありますし、黄金比こそ「美」という価値観もあると思います。

機能美こそ至高という考え方もあります。

時代を経て、埋没してしまう物もありますし、破壊されたりする物もあります。

何かを見つめるときに、その中にある「美」に気持ちを向けるようにしたいと考えています。

どうしても、「美」ではない、自分が気になる要素に気持ちを奪われがちですからね。

それは、「欲」なのかも。

木は腐るまで、鉄は錆びるまで 建造物の管理

国土交通省の木造住宅期待耐用年数によると「フラット35基準程度で50年~60年、劣化対策等級3で75年~90年、長期優良住宅認定であれば100年超」※1とされています。 つまり、骨組みや基礎軸組の木材が適切に保たれていて、メンテナンスが行き届いていれば、100年を超えても木造住宅は居住できるということになるのです。

木造住宅の耐用年数とは?実際に住める年数と耐用年数は違う! | 日本ハウスHD - 檜の注文住宅

 

建物の耐用年数とは税法上定められた寿命(法定耐用年数)のことで、建物の耐用年数は、法令では鉄筋コンクリート造(RC)が47年、鉄筋鉄骨コンクリート造(SRC)が60年と定められています。

しかし、税法上の償却期間ですから、建物が朽ちて使えなくなるのは、もっと先のようです。ですから、100年超えでも使えている建物は多いのです。

何を理由として、その建物の寿命とするのかは、所有者の事情によって異なります。

手狭になったとか、使用用途に関する変更による解体、再建築という流れが非常に多いのではないでしょうか?

本当にモッタイナイのですが、経済的な余力があれば、現実に合わせて、より快適に変えていく方が理想的です。

しかし、メンテナンスをしていれば、木造でも、鉄骨造でも、かなり、建物の寿命を延ばせるようです。その要素は、湿度の管理であったり、水に関する処理が適正かどうかが大きいようです。

20年もすれば、新築した建物でも、水回りに綻びができてきます。給水や排水が、適正に行われていると建物の床下の健康が保てるようです。

「木は腐るまで使える 」という話です。つまり、腐るのを防ぐには、適切な湿度の管理ができていることが必須なのです。乾燥しすぎても、木には反りが出てきます。また、人が踏まなくなった床は、浮き上がってスキマができてきます。

空き家が傷みやすいのは、床が浮き上がったり、または、落ち葉が溜まって、湿気を呼び込んだり、雨樋を塞いで、普段には水がかからない所に、かかり続けることで、腐りやすくなるのです。

ですから、雨終い、水じまいは、大切なのです。

ある大工さんは、空き家のすぐそばに生えている広葉樹は、伐採してしまった方が、建物には良いと指摘しています。

空き家なら、条件が整えば、賃貸にして、誰かに床を踏んでもらい、適度な湿度を加えてもらうというのも合理的なのだそうです。

一方、鉄骨やコンクリートは、その管理にコストがかかり、躊躇してしまいそうですが、メンテナンスを最低限でもしていると、寿命は延ばせるようです。埋め込まれた配管は、更新が難しいですが、必要に応じて更新が必要なモノもあります。

「鉄は錆びるまで」と言われます。サビに蝕ばれないうちに、防錆塗装などをしていくメンテナンスが必要です。もう少し、もう少しと先送りにすれば、構造物としての強度が保てなくなりますから、タイミングを失わないように、留意したいですね。

住み慣れた環境を維持するためにも、不要なモノがあれば断捨離して、床を踏んで家中歩き回れるようにしておきたいと考えています。

誠実に歩む者の盾 箴言2:7

『7 主は正直な人のために、すぐれた知性を蓄え、誠実に歩む人たちの盾となり、 箴言2:7 新改訳2017』

ジョージ・ワシントンは、正直に桜の木を切ったことを告白し、許された。という逸話がありますが、どうやら、道徳の教材として作られた話のようで、事実ではないようです。

道徳と言うのは、非常に難しい分野です。社会の仕組みを理解するために、さまざまな方法があります。最近では、アニメなども活用されていますね。

アンパンマンには、多くの人が影響を受けたことでしょう。

過去には、スヌーピーがでてくる「ピーナッツ(PEANUTS)」と言う漫画や、数々のディズニー作品なども、道徳を教えているのだろうと考えています。

大人向けには、「勧善懲悪」がテーマである「水戸黄門」などが代表格ですが、「刑事ドラマ」などでも、道徳的な要素は感じます。

「正直に生きるとバカを見る」という考え方も根強くあり、利害関係の岐路に立たされると、迷いが生じるモノです。

確かに、一時期は正直に振る舞って損をしたと後悔することもあるでしょうね。

でも、その決断は正しかったと考えられるようになります。

もし、不正直な局面で得た利益なら、それを思い浮かべる度に、その情景を思い出すことになります。そうなると、良心の呵責は、くり返しくり返し、押し寄せてくるでしょう。

また、それが、誰かの不利益に繋がっていたとしたら、その人との関係は、それでおしまいになる可能性もあります。さらには、恨みを買ってしまうことにもなりかねません。

正直に振る舞うことで、回避できることもあるのですね。

そのような人には、ご褒美があるというのが、この箴言です。

それは、「優れた知性」と「誠実に歩む人たちの盾」です。

不正な利益を得て、ヨロイを着て自己防御をする必要から解放されるのです。

【主】自らが「盾」になってくださると言うのです。

お互いを引き下げる関係に別れを告げて、お互いを尊重し、高め合うような関係性への可能性を感じます。

自分が足りない所を見せる勇気があれば、誰かに保管してもらえることもありますよね。

それを隠していると、その可能性は低くなり、自分の弱点が露呈することに怯えて行動する日々になることも考えておく必要があります。

【主】の護りの内に、より良い関係を構築して行きたいですね。

知ることと愛すること 西田幾太郎 「善の研究(岩波書店)」

『物を知るには、これを愛さねばならず、物を愛すには、これを知らねばならない。 西田幾太郎 「善の研究岩波書店)」』

西田哲学はあまりにも宗教的であり、実践的でないという批判があったようです。

個人の見解と視点が大切で、人間の数だけのバラエティーがあるので、実践的でないと感じれば、自分なりに採用しないか、アレンジするかで良いと考えますが、それぞれの立場からの発言は、それぞれの位置を語っているのかも知れませんね。

物との距離感は、愛着と考えることもできます。

その物の価値だけではなく、自分自身との距離感が、関係性を決めているのでは無いでしょうか?

その為の前提条件は、このフレーズで示唆されています。

それは、まず「知る」こと。

よく観察して、その性質や本質を知っていく必要があります。

イメージとして抱くのは「マニアック」な人々です。

カメラにしろ、クルマにしろ、「好き」な人にとっては、垂涎モノだそうです。

そこまでの愛着や執着を私は持ち合わせていないので、少し、距離のある感覚もあるのです。

しかし、まるで自分の分身であるかのような密着を見れば、「ラブラブ」の関係が見えるコトでしょうね。

そこには、パートナーでも入り込む隙が無いような関係性なのかも知れません。

物を大切にし、その物の恩恵を受けて、良好な関係を築いていくためには、「愛」が必要なのですね。

物ではなく、生き物相手ならなおさらです。物は、表現しませんが、生き物は表現をします。それも合わせて、知り、理解を深めていくことに「愛」の大切さがあるのではないでしょうか?

物にも、生き物にも、程よい加減の「愛」が理想ですね。

 

西田 幾多郎(にしだ きたろう、1870年5月19日〈明治3年4月19日〉 - 1945年〈昭和20年〉6月7日)は、日本の哲学者。京都学派の創始者。学位は、文学博士(京都大学論文博士・1913年)。京都大学名誉教授。著書に『善の研究』など。(中略)
デビッド・A・ディルワースは西田の作品分類を行った際、この著には触れていなかったが、西田幾多郎は、その著書【善の研究】にて―経験・現実・善と宗教―について触れており、その中で思想・意志・知的直観・純粋な経験に思いをはせることが最も深い形の経験と論じている。この著書の主テーマは‘すべての経験において調和を渇望する東洋の英知の真髄[9]に基づいている。

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微調整が難しい時代 デジタルの弱点 電波時計

アナログ時代は、時計のネジ巻きや時間の調整をよくしていました。怠ると時計が止まっていました。

でも、水晶時計などが主流になり、電池式になったりして、ほとんど調整しなくても良くなりました。

そして、電波時計全盛の時代に突入しました。

しかし、電波状態が良くないこともあります。天候の加減か? 遮蔽物の影響などか? で、時間がズレてしまうことがあります。

また、電池式の場合は、電池切れの場合に、時間が正確に表示されません。

その様な時に、「昔なら、手動で合わせることが可能だった」という話題になります。

アナログ時代の話は、黒電話にまで遡ることもあります。電話の歴史を知らないという世代も増えてきました。技術的には、黒電話はスゴいと聞きました。それは、それまでの時代は、交換手が回線の取り次ぎをしていたようで、私もその時代のことは、わかっていません。ですから、黒電話で相手に直接電話ができるようになったのは、当時としては画期的な出来事だったようです。

黒電話の正式名称は、「3号自動式電話機」とも言われます。共電式と言われるシステムは、家が停電していても使えるので、サバイバルできるシステムです。メタル回線省エネで優秀なのです。

今のデジタル全盛の時代は、停電したら、その途端に、通信の自由は奪われます。アナログ式の手旗信号やモールス信号などが役に立つ日が来るのかも知れません。

その後も改良を重ねて、601形電話機は、アナログ回線による単機能電話機としては、これ以上の根本的な性能向上は望めない水準で、「完成された電話機」と言われています。その後は、プッシュ回線へと移行していくので、ダイヤルが消えていくことになりました。

J-POPの歌詞で「ダイヤル」が出てくるのは、その名残で、ダイヤルがない世代からは、想像もできませんね。

日本ほど、公共交通機関が分単位で、規則正しく運行されている国は、世界広しといえど、稀なのだそうです。国民性というか、勤勉さというか、スゴいですね。

その裏返しは、少しのダイヤ変更でもクレームが出たりするのだとか?

スマホの時計もネットワークで、自動補正される時代なので、時計が現在時刻とズレているという認識を持っておく方が、万が一のためには備えになる可能性も感じます。

また、「0」か「1」かを重視するデジタル時代に生きながら、「0」と「1」の間を受けとめる心のゆとりを持ちたいと考えています。

電波時計の基地が機能しなくなったらどうなるのでしょうか?

デジタル時代のサバイバルを考える必要がありますね。

 

黒電話(くろでんわ)は、黒い筐体と送話器一体の受話器を特徴とする電話機の総称である。日本では一般的に、逓信省、および1952年(昭和27年)以降日本電信電話公社(以下一部を除き「電電公社」)によって制式化されて一般電話加入者に提供された、3号・4号・600形および601形の各電話機を「黒電話」と総称する。ダイヤルパルス方式の電話機や回転ダイヤル式電話機の通称として用いることもある。

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神の測りざお ヨハネの黙示録11:1-6

『1 それから、杖のような測り竿が私に与えられて、こう告げられた。「立って、神の神殿と祭壇と、そこで礼拝している人々を測りなさい。
2 神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはいけない。それは異邦人に与えられているからだ。彼らは聖なる都を四十二か月の間、踏みにじることになる。
3 わたしがそれを許すので、わたしの二人の証人は、粗布をまとって千二百六十日間、預言する。」
4 彼らは、地を治める主の御前に立っている二本のオリーブの木、また二つの燭台である。
5 もしだれかが彼らに害を加えようとするなら、彼らの口から火が出て、敵を焼き尽くす。もしだれかが彼らに害を加えようとするなら、必ずこのように殺される。
6 この二人は、預言をしている期間、雨が降らないように天を閉じる権威を持っている。また、水を血に変える権威、さらに、思うままに何度でも、あらゆる災害で地を打つ権威を持っている。 ヨハネの黙示録11:1-6 新改訳2017』

「杖のような測り竿」は、ヨルダン川の葦を表し、スケールとして使われていました。

ヨハネは、「神の神殿と祭壇」、「そこで礼拝している人々を」測るように命じられた。

ヨハネが黙示録を記したA.D.70年には、エルサレムの第二神殿が破壊されていました。しかし、この記述を元に推測すると、大患難時代の中期には第三神殿ができているという示唆でしょう。

また、「そこで礼拝している人々を測」るというのは、その人数を数えることだと考えられます。

旧約聖書では、「測る」という意味合いについて、ゼカリヤ2:1-2では、「エルサレムを測りに行く」と記されていますが、これは、「エルサレムの霊的状態を吟味する」という解釈が成り立ちます。

エゼキエル40:1-49では、「千年王国で建てられる神殿」が測られています。これは、第三神殿とは異なります。さらに、ヨハネの黙示録21:15-17では、「新しいエルサレム」が測られています。

「測る」とは、「神の所有権を示す行為」であると同時に、「神殿も町も人々も神の吟味」を受け、背教の状態にあるかどうか「確認」されることを表しています。

一方、「神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはいけない。」と記されています。そこは、「異邦人の庭」と言われ、異邦人に委ねられていると示し、測らないことによって、神が異邦人を拒否していることを表しています。

エルサレムは、異邦人(「アッシリヤ」、「バビロン」、「メド(メデア)・ペルシヤ」、「ギリシア」、「ローマ」)に蹂躙されてきた歴史があります。そして、その時には、反キリストとその勢力が蹂躙します。それは、2テサロニケ2:4、マタイ24:15-16、ダニエル9:27、ダニエル12:11に預言されています。

これらから、反キリストは、7年の中間で平和条約を破り、自分が神だと宣言し、反キリストは、自分の像(「荒らす憎むべきもの」)を神殿の中に安置します。この時、ユダヤ人たちは荒野(ペトラ)に避難し、そこで守られるのです。

「二人の証人」は、神の許可の元、大患難時代前半の3年半(1260日)活動し、「悔い改めのメッセージ」を伝えます。世界宣教をする144,000人のユダヤ人と同じ時期に活動しますが、「二人の証人」は、エルサレム限定です。粗布(あらぬの)を着ているのは、「嘆きの象徴」で、「神の裁きが近づいている」ことを伝え、「悔い改め」を勧めるのです。

燭台はイスラエルを表し、油を提供する2本のオリーブの木は、この「二人の証人」については、ゼカリヤ4章で預言されていることが、この時に成就するのです。

「二人の証人」に奇跡的な力が付与され、彼らに害を加えようとする者は殺されます。「口から火が出る。」と記されているのは、聖書的には、「火は神の怒り」を示しています。「二人の証人」は、【主】の守りの内に1260日間使命を果たすことなるのです。

動画 グルメ犬 フライドポテトには…


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飼い主のことをよく見ていますね。

塩分やケチャップの味が、グルメ犬の健康を損なわないことを願います。

この動画は、フライドポテトをケチャップをつけて食べる飼い主の横で、お座りをしながら、おねだりをしている様子です。

飼い主も根負けして,ポテトを差し出しますが、なんと食べません。

しばらくの沈黙の後、指令を出します。

「ケチャップがついとらん」とでも伝えたいのでしょうか?

飼い主が、少しケチャップをつけて、差し出すと、パクリと食べました。

日常の光景なのでしょうか?

このワンちゃんは、頑固一徹さを醸しだしているように見えます。

「日本人には、お茶漬けやろー」

なんて、決め台詞がありましたが、

「フライドポテトにはケチャップやろー」

なんて聞こえそうですね。

 

犬の一日に必要なナトリウム量と食塩の摂取量
① 愛犬の体重(kg)×ナトリウム推奨値(50mg)=1日に必要なナトリウム量(mg)
② ①で計算したナトリウム量(mg)×2.42÷1000=食塩相当量(g)                          ※アメリカ国立科学アカデミー発行の「犬の栄養要求量」に記載
体重10㎏の犬での一日の食塩の摂取量は1.21g。
食品で換算するとロースハム薄切り2枚で1g、ちくわ2本で1g程度になります。