永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

お金は社会の血液と言われるが マネーマネージメント

人生の悩み事は、「お金のこと」「健康のこと」「対人関係のこと」などがあげられます。

どれも大切な要素ですが、「お金のこと」は生きていくために必要不可欠です。

一言に「お金」と言っても、様々な要素があります。

どのようにお金を得るか?

どのようにお金を使うか?

どのようにお金を蓄えるか?

最近では、どのようにお金を増やすのか?

などと、問われています。

これをバランスよくこなせると「マネーマネージメント」の達人と呼ばれることでしょうね。

「どのようにお金を得るか?」については、「誰かの役に立つ何かをした対価にお金をもらう」というのが基本なのですが、日本では正社員として組織に所属する人が多いですね。

最近、派遣社員も増えてきましたし、パートタイマーの人も結構います。

定期収入を得るのが堅いとされています。

「どのようにお金を蓄えるのか?」に関しては、大きく意見や方針が分かれるのではないでしょうか?

得たお金を自分の理想の生活の維持や自己投資にまわして、高収入のゾーンの人でも、貯蓄がゼロというパターンが多いようです。

一方、年収500万以下の人の方が、多くの貯蓄をしていると聞きますから不思議ですね。

「お金をどのように増やすのか?」との問いは、誰が誰に問うているのかを調べる必要があります。

こうしたら儲かるという方法は、本当ならば他人には教えないで、自分でコッソリやるものではないか?という猜疑心からです。

それはさておき、「どのようにお金を使うのか?」です。

これに悩んでいる人が非常に多いように感じています。

もちろん、生活の維持にかかるお金は必要です。でも、自分にとっての有益な支出はナカナカ思い浮かばないようです。

自分のため使うことに罪悪感を感じているのでしょうか?

この一面を見ただけでも、「自分自身を愛し慈しむコトの難しさ」を思い知らされます。

自分のために、そして、有益な使い方、これが、健全なマネーマネージメントのキモかも知れませんね。

家庭は天国にも地獄にもなる 箴言14:26

『力ある拠り所は【主】を恐れることにあり、それは主の子らの避け所となる。(箴言14:26新改訳2017)』

昭和の時代には、主人がかんしゃくを起こしたときに「ちゃぶ台返し」ということがありました。

まあ、八つ当たりですね。気が小さいものですから、どこかで拾ってきたイライラを家庭でぶちまけるのです。どうしたら、そのイライラを解消できるのか方法がわからないので為す術がなかったのです。

本人も自己嫌悪になるし、家族もたまったものではありません。

このような日々が続けば、地獄の気分を共有する家族になってしまいます。

妻が、何とかしたいと一念発起して勉強会に通い、まず自分のマインドを改善する取り組みをしました。

それでも、たまにちゃぶ台返しが起きるのです。

でも、マインドが改善すると夫の状況が全く違うように見えてきました。

それは、夫が為す術なく、心をふるわせながらちゃぶ台返しをしていることに気づきました。

そこで、ちゃぶ台返しをした後に、夫の背中をさすり、「辛かったねえ、色々なコトを抱えて、ちゃぶ台の一つや二つ返してよいんだよ、本当に辛かったねえ」と本心から共感したのです。

そうすると、その日を境に、ちゃぶ台返しはピッタリと起きなくなりました。

妻のマインド改善が、夫のマインドも改善する結果になったのです。

それまで、いつちゃぶ台返しが起きるのかビクビクしていた家族は落ち着きを取り戻しました。

どちらが先とは、順位がつけられませんが、その当時、子どもが不登校だったのです。

父のマインドが改善されてから、一人一人、少しずつ、マインド改善が進みました。

まさに、地獄を味わう家庭から、天国気分を味わえる家庭へと変化したのです。

このストーリーは、ドキュメントをベースに記しています。

人間は、状況に影響を受けますが、その状況を受容するマインドがあれば、新たな一歩を踏み出せます。

「力ある拠り所は【主】を恐れること」とあるのは、自分の習慣やマインドを変えるためのエネルギーをどこから得るかということです。

それは、創造主である神を認めて信じ敬うことからはじまります。

「それは主の子らの避け所」と記されているように、エネルギーの源であると共に、最も安全な避難所でもあるのです。

この地上のどこに生きていても、お金があってもなくても、天国や地獄を味わうときが訪れます。

その様なときには、ぜひココを思いだして下さい。

成功とは…? エッシェンバッハ

『成功とは小人どもの名誉のことである。 エッシェンバッハ

エッシェンバッハは、ドイツの1940年生まれ、クラシック音楽の指揮者です。母を出産時に亡くし、父はナチスの懲罰部隊に入れられ戦闘で命を落とし母の従姉妹に育てられたというバックグランドを持っています。

本人は次のように述べている。「悲惨な過去の生活のせいで口をきくこともできなくなっていたのである。ヴァリドール・エッシェンバッハはピアニストにして歌手、そして音楽教師で、夜遅くまでベートーヴェンシューベルトショパンラフマニノフやバッハを弾いていた。私がまた口をきくことができるようになったのは、自分でも音楽を演奏したいか、と尋ねられて『はい』という言葉を発したときだった。」

ja.wikipedia.org

 

 

彼は、幼少体験があまりにもショッキングだったためか、言葉を発することができなかった時期がありました。

それを解消するきっかけも、音楽を演奏すると自らの意志で宣言したときだったといいます。

戦争に巻き込まれた時代は、後々までも、大きな心理的影響を与えてました。

でも、それぞれの未来を開く扉は、それほど遠いところにはないことを願いたい、彼がそうであったように。

人生は何をもって成功と言うかの定義はありません。

財をなしたとか、創業したとか、発明したとかからはじまり、それが、どれ程の人に喜ばれたかなど、成功評価のものさしは多岐にわたります。

このフレーズは、皮肉をこめたモノのように感じてしまいます。

一時的でも名誉を得たことが成功と考えている人がいるが、本当にそうでしょうか?

そのような、問いかけのように感じます。

彼は、ナチスが遺した爪痕を背負いながら、音楽業界の逆風を感じながら、実力で「大きなポスト」とされる地位を築き上げたようです。

「何でこのようなことが私の身に起こるのか?」というような貴重な体験は、やがて、自分の土台となり、エネルギーとなると言うイメージを彼の生涯から感じます。

人生の中で、無意識のうちに背負っている何かを重荷と感じて下ろすのも、それが苦にもならないと感じるほど鍛錬するのも、その人の選択です。

彼の場合、背負い続けて力強く人生を歩んだのですね。

謎解きの手間暇と楽しみ 携帯電話など

モノの値段は複雑怪奇だなあと感じています。

その最たるモノが、携帯電話料金です。

以前は、基本料と通話料で、単純明快でした。

しかし、携帯電話の普及と発展を受けて、サービスが多様化して、かなり複雑になってきました。

日本の場合、キャリアと呼ばれる会社が4社あり、そこから回線をまとめて借りて運営しているMVMOと呼ばれる格安電話サービスが非常に多くなりました。

値段だけではなく、それぞれの得意分野での競争があり、ナカナカ決めきれないくらいのバラエティーがあるのには、ひたすらビックリです。

今は、MNPナンバーポータビリティ)という制度が進み、同じ電話番号を持ち運べるようになりました。

これもまた、キャリアメールが持ち運べないなど課題があります。

最大の課題は、端末の機種変更です。

不思議だなあと感じているのは、同じキャリア内で機種変更する場合に、新規の端末を購入するのに、結構な高額を請求されるのですね。

一方、MNP転入者には、0円や1円などの一括購入できる端末が、台数限定ながら用意されていることがあるのです。

また、どのサービスからどのサービスへというルートによって、サービスの料金や端末の購入価格が著しく違ったりするのです。

まるで、謎解きゲームに参加している気分です。

一世代前には、2年縛りなどを途中で解約しようとすると、10450円という高額な違約金を払う必要がありました。今は、1100円や0円になりました。

とにかくお客様を縛っておきたいとも感じられる手枷足枷があったのです。

動画サイトでも、多くの人がお得情報を研究していて公開していますから、情報の参照は非常にしやすくなりました。

でも、ケースバイケースなので、取り扱うお店に適用されるかどうかの確認をしておく必要があります。

自分のコトについてはもちろんですが、お知り合いの方をより良い契約へとご案内するためには、できるだけよい条件を探る必要があります。

また、「○○割」は適用されないこともあるので、条件の確認も重要ですね。

人生は、謎解きの連続だと肝に銘じて、あきらめずに取り組みたいと考えております。

あなたはどこにいるのか? 創世記3:8-10

『 その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」(創世記3:8-10新共同訳)』

エデンの園での生活でアダムとエバは、創造主である神と語り合う事ができたのです。

その関係に、異変が起きたシーンが冒頭の箇所です。

アダムとエバは、創造主である神の定めた、たった一つの禁戒を犯して「善悪を知るの樹」の果実を食べたのが原因でした。

一線を越えた後に感じた変化は、羞恥心の芽生えです。

自分たちが裸であるコトを恥と感じるようになり、「主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れ」ていたのです。

それまで、衣服の記述はありませんから、光に包まれて自分たちが裸でも恥ずかしく感じるコトが無かったのでしょう。

この時のアダムとエバは、まるで、小さな子が養育者に叱られるのを恐がって、隠れようとするみたいですね。

創造主である神はアダムに「どこにいるのか。」と声をかけたのです。

全能の神ですから、アダムとエバに何があったか、そして、どこにいるのかはわかっているハズです。

それにも関わらず、声をかけた理由をどのように感じ取られますか?

私は、「罪を憎んで人を憎まず」のような、寛容とか、怒らない姿勢を感じます。

アダムは、「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」と応答します。

アダムが、罪の状態に堕ちたことを自分が裸であることを恥と感じて、創造主である神に合わせる顔がないと自覚して、恐くなったということですね。

その結果、イチジクの葉で恥部を覆うことを考えつきましたが、神がそばに来たことを知り、隠れるしか方法が思い浮かばなかったのでしょう。

その場で、怒らない対応が、かえって不気味に感じるのが人間なのかも知れません。

でも、聖書に記されているのは、「罪」への対処であり、人間の救済なのですね。

創世記3章には、原福音と言われる全人類が罪から解放される具体的な宣言が記されています。

この一件をきっかけに、アダムとエバは、エデンの園を追放されました。

そして、紆余曲折あり、2021年の現在を迎えております。

その今も、「あなたはどこにいるのか?」と創造主である神は、全人類に対して問いかけているのですね。

動画 ハンモックにはコツが必要


www.youtube.com

ハンモックの乗り降りは、コツや慣れと工夫が必要です。

ユラリユラリとしている浮遊感は気持ちよいですよね。

しかし、登るときと、降りるときには、非常に不安定ですから、特に要注意です。

この動画は、ワンちゃんが主役ですが、ハンモックを使うときの注意事項をデモンストレーションしているようにも見えます。

でも、ワンちゃんは真剣そのモノで、見ていると笑ってしまいます。

ハンモックは、自分の身を任せることで、浮遊感が得られるのですから、そもそも自分がコントロールできるモノではありません。

ノルときには、「腰掛けて、ポンと身を任せるとよい」などと説明されますが、現実は、怖さから余計な力みが入り、おかしな動きになってしまいますね。

何事も慣れが必要なのでしょう。

子どもやペットがハンモックを使うとき、口や手を出したくなりますが、それよりも、できる人がお手本を見せることの方が、成功への近道なのかも知れませんね。

ケガや事故に注意しながら、便利に使いたいモノです。

危険を愛する人の末路 ロレンハーゲン

『危険を愛する者は危険に死ぬであろう。 ロレンハーゲン』

ハラハラドキドキに快感を覚えてしまうと、ハラハラドキドキの快感が無いと生きられないと、人生が変わるようです。

ドイツの教育者、牧師、詩人として生きたロレンハーゲンのフレーズです。

危険と言われる仕事の代表格に「とび職」があります。

高所作業をする専門職なのですが、高層ビルや超高層ビルなどでも大活躍です。

足場や鉄骨を組んでいく際の不安定な状況で高所作業をするので、もし、バランスを崩したら、よくて大ケガ、悪ければいのちを落とすと言われます。

この仕事は、まったく恐怖心がないと続けられないと聞きます。

高い所に立つと、多くの人は落下したら、いのちがないと悟り、恐怖心で足がすくみ、身体に力が入ります。

ごく稀に、そのような状況下で、全く恐くないと言う人もいるようです。このタイプは、かえって危険だそうです。

街中で行われる新種のスポーツで「パルクール」というものがあります。

パルクールとは、フランスの軍事訓練から発展して生まれた、走る・跳ぶ・登るといった移動所作に重点を置く、スポーツもしくは動作鍛錬である。障害物があるコースを自分の身体能力だけで滑らかに素早く通り抜けるため、走る・跳ぶ・登るの基本に加えて、壁や地形を活かして飛び移る・飛び降りる・回転して受け身をとるといったダイナミックな動作も繰り返し行われる

パルクール - Wikipedia

 

インターネット上には、かなり過激な動画が出ています。

競技者は、人間の防衛本能のリミッターが壊れているかのような、振る舞いをします。

走る・跳ぶ・登るが基本とされているパルクールですが、ビルからビルへ飛び移ったり、平均的な感覚ではためらうような移動をしています。

ヌンチャク映画のシーンよりも遙かに閲覧注意です。

「良い子は真似しないで下さい」と字幕が出てくる類いの話です。

でも、余程の鍛錬をしていても、いのちの危険とは隣り合わせのようです。

人生の選択でも、危険だと言われるターゲットに魅力を感じてしまうこともあります。

その危険にいのちがけで飛び込むことも選択肢の一つですが、引き返すという選択肢もギリギリまでキープしておきたいモノですね。