永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

柔軟さを見習いたい あきらめないタコ

youtu.be

軟体動物のタコの本領発揮ですね。でも、この動画を撮影している漁師さんは、逃げていくのを眺めているだけで良かったのでしょうかね?

「この○○ーーー!!」

なんて言い回しに登場したりするタコですが、とても頭がいいそうですね。

時には、脚を切ってまで、また、吸盤を巧みに使いたいていの所をすり抜けるようです。

「針の穴を通す」という言い回しもあります。

また、ユダヤのラビ達が使った格言の中に「ラクダが針の穴を通る方がやさしい」というのもあります。原語では、マタイとマルコは「裁縫の針」ルカは「医療用の針」というコトバを選んで記述しているとのこと、筆者のバックグラウンドが出るのですね。

これは、不可能に近い難解な事を指す格言だそうです。

物事には、「針の穴を通す」ようなブレークスルーが、どこかに道が用意されているのでしょうね。

人間には、それが、見えないし、目を覆いたくなる状況に直面すると、なおさら、見えなくなってしまうのかも知れないですね。

「四面楚歌でも、天の窓はあいている」と考えられるマインドを持っていたいです。

根拠をどこに持つか

樹であれば、成長し続けるために、根をしっかり張り続けないと、大木にはなれません。

想定が次々かわる世の中に生かされている人は、地球の引力にこそ引っ張られていますが、飛び跳ねることも、動き回ることも自由なので、自由でもあり、定まりもない要素でもありますね。

体調が悪いと、医療機関を受診しますが、その時点での状態に応じたケアは受けられますが、医者も人ですから、それまでの経過は想像はできても、真実は知る由もありません。

経過と現状を知っているのは、本人と神様しかいないのですね。

通常、直接介入できるのは、本人となります。

不快なこと不安を強く感じることに出会う日常の中で、どのようにマインドを保つかが課題ですね。

「なんじらの年老るまで我はかわらず、白髪となるまで、我なんじらを負わん。我、つくりたればもたぐべし。我また負いかつ救わん。(イザヤ46:4)」

創造主の約束に根拠を持ち、エネルギーを頂いて、乗り切りたいですね。

終活

最近、よく耳にする言葉ですね。

人生をどのように締めくくるか?という問いかけですね。

財産や思い出の整理や大切と感じている人たちへ伝えたいコトを伝えるなど、多様なテーマがあるみたいですね。

エンディングノートも書き記す人が増えているようですし、自分の行く末に対して、冷静に考える人が増えてきたのかも知れませんね。

思い返せば、自分の過去を振り返ったり、自分の一番大切なものを書き出して確認したり、ある程度、整理整頓できたときから、落ち着いたように思います。

それまでは、自分が何かに追いかけられて、犯罪者のように追跡者から逃れようと意識していましたからね。

その頃には、先延ばし先延ばしで、期限ぎりぎりにやっつけることが多かったように感じます。

最近は、仕上げは期限まででも、ある程度のかたちは、イメージできるようになりました。

ゴールから設定する整理整頓が、落ち着きを取り戻すために有効なのでしょうね。

永遠の幸福マインドで生きていても、肉体的生命に生かされている間は、常に不確定要素に囲まれているので、漠然とした不安を感じるのですね。

がまんしなくてもよいこと

涙腺が緩くなるお年頃というお話をよく聞きます。

40代から緩みだし、50代で拡大してくるらしいです。

赤ちゃんの時には、泣き叫んでいた人も、成長に従って、大人しくなっていきます。

その間に、「がまん」することを学んでいきます。

この「がまん」は、人によって大きな誤差がある要素ですね。

「がまん」が過ぎると、病気になってしまったり、大切な感情を出せなくなったりします。

ある人は、気持ちを押し込めて、平静を装い、自分は大丈夫なのだと、自分に思い込ませたりします。

あるきっかけで、心の琴線にふれることばや体験で、堰を切ったように、感情があふれ出すことがあります。

それと同時に、こらえてきた涙腺が一気に崩壊し、涙の大洪水になります。

肉体的生命には、喜怒哀楽がもれなくついています。

「汝ら怒るとも罪を犯すな…(エペソ4:26)」

とは、ありますが、感情を適度に表現していくことは、健康を保つためにも大切なコトなのですね。

心の汗とも言われる涙の洪水も、周囲の人たちの心を溶かす不凍液の役割を果たすかも知れませんね。

π(円周率)を奏でるピアノ

3.
1415926535 8979323846 2643383279 5028841971 6939937510 5820974944 5923078164 0628620899 8628034825 3421170679 8214808651 3282306647 0938446095 5058223172 5359408128 4811174502 8410270193 8521105559 6446229489 5493038196 4428810975 6659334461 2847564823 3786783165 2712019091 4564856692 3460348610 4543266482 1339360726 0249141273 7245870066 0631558817 4881520920 9628292540 9171536436 7892590360 0113305305 4882046652 1384146951 9415116094 3305727036 5759591953 0921861173 8193261179 3105118548 0744623799 6274956735 1885752724 8912279381 8301194912 9833673362 4406566430 8602139494 6395224737 1907021798 6094370277 0539217176 2931767523 8467481846 7669405132 0005681271 4526356082 7785771342 7577896091 7363717872 1468440901 2249534301 4654958537 1050792279 6892589235 4201995611 2129021960 8640344181 5981362977 4771309960 5187072113 4999999837 2978049951 0597317328 1609631859 5024459455 3469083026 4252230825 3344685035 2619311881 7101000313 7838752886 5875332083 8142061717 7669147303 5982534904 2875546873 1159562863 8823537875 9375195778 1857780532 1712268066 1300192787 6611195909 2164201989 ……
円周率(百万桁)

youtu.be

円周率は、「3.14」だと習った記憶があります。最近は、「3」と簡略化するそうですね。

ただ、人間の数学という学問でも、割り切れない解というものが、人間の気持ちを表しているようにも感じます。

白か黒か、それとも、グレーか? なんて分類しようとしても、分けられない所に直面して、挫折感を覚えるのかもしれませんね。

数字は、0から9までですから、これを、音に置き換えれば、譜面にはなるのですが、結構、音楽的に仕上がっているように聞こえました。

案外、自然界は、あらゆる音色を奏でているのでしょうね。

器の違い

モノを整理していると、懐かしいSDカードが出てきました。

なんと、、、容量は、16MB。

今は、16GBだって、当たり前に安価に購入できる時代です。

しかも、外形は同じです。

同様に、CDでもDVDでもブルーレイディスクでも外形は同じです。

中身には大きな差があるのですね。

器には、さまざまな用途があり、用途別に使用しています。

「大いなる家の中には金銀の器あるのみならず、木または土の器もあり、貴きに用いるものあり、賤しきに用いるものあり。人もし賤しきものを離れて自己を潔くせば貴きに用いらるる器となり、浄められて主の用に適い、凡ての善き業に備えらるべし。(テモテ後書2:20-21)」

人間にも、器量という評価があります。

「器量よし」と使えば、外見が美しいなどにも使われます。

また、本質的には、その人の許容限度を計る物差しでもありますね。

キャパシティがどれくらいか?ということでしょうか。

人間は、同じような外見をしていても、中身は大きな差があるという現実があります。

色々な、体験をしながら、経験を積み上げ、容量(キャパシティ)を変化させているのでしょうね。

こればかりは、意識しても増やせない要素もありますから、そのような自分の自己受容も大切ですね。

裂かれた隔ての幕…その時、永遠の生命保険は完成した。(4/4)

創造主である神の願いは、インマヌエル(神ともに居ます)ですから、エデンの園でも、出エジプト途上の荒野の幕屋においても同様で、メシアであるイエス・キリストが肉体に宿られた時には、正に、その時代の人と共に居たのです。

「この故に主みずから一つのしるしをなんじらに賜うべし。視よ、おとめ孕みて子を生まん。その名をインマヌエルととなうべし(イザヤ7:14)」

メシアであるイエス・キリストが完成された「永遠の生命」を受け取った人は、創造主である神と永遠に幸福に居る事ができるのです。

これこそ究極の自分のための生命保険です。

この「永遠の生命保険」を希望する人を募集しています。これに加入するのとしないのでは、永遠の差がついてしまうのです。応募期間は、それぞれの自由意志が発揮できる間です。掛け金も制約もありません。信仰のみです。

加入方法は下記から

もし、これを見ているあなたがこの永遠の生命保険に加入するなら、下記のように手続きをしてください。書類は不要です。心から感謝をすれば良いのです。それだけで、永遠の幸福が与えられます。

「私は創造主である神を認めずに自分のものさしで生きてきました。自分を傷つけ、他人を傷つけてきました、どうか赦してください。私の身代わりにメシアであるイエス・キリストが十字架によって罪科を完済してくださったことを信じ受け入れます。ハレルヤ!感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アァメン。」

と創造主である神に祈ってください。

そうすると、影を見続けていた人でも希望の光に向き直り、永遠の幸福マインドで生きることができるようになるのです。

 

四分割してあります。他の記事も、是非、ご覧ください。

裂かれた隔ての幕…その時、永遠の生命保険は完成した。(1/4)
 裂かれた隔ての幕…その時、永遠の生命保険は完成した。(2/4)
裂かれた隔ての幕…その時、永遠の生命保険は完成した。(3/4)
裂かれた隔ての幕…その時、永遠の生命保険は完成した。(4/4)

↓2017/12/31公開

裂かれた隔ての幕…その時、永遠の生命保険は完成した。エピローグ