永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

札(ふだ)を売る起源

「 ◆命の代償
 主はモーセに仰せになった。あなたがイスラエルの人々の人口を調査して、彼らを登録させるとき、登録に際して、各自は命の代償を主に支払わねばならない。登録することによって彼らに災いがふりかからぬためである。登録が済んだ者はすべて、聖所のシェケルで銀半シェケルを主への献納物として支払う。一シェケルは二十ゲラに当たる。登録を済ませた二十歳以上の男子は、主への献納物としてこれを支払う。あなたたちの命を贖うために主への献納物として支払う銀は半シェケルである。豊かな者がそれ以上支払うことも、貧しい者がそれ以下支払うことも禁じる。
あなたがイスラエルの人々から集めた命の代償金は臨在の幕屋のために用いる。それは、イスラエルの人々が主の御前で覚えられるために、あなたたちの命を贖うためである。(出30:11-16【新共同訳】)」

イスラエルの民が、命からがら出エジプトをしたあと、人口調査と登録をする必要が出てきたのですね。

「命の代償を主に支払わねば…」と記されています。

これは、幕屋をつくる過程でのステップですね。

「あなたたちの命を贖うために主への献納物として支払う銀は半シェケルである。豊かな者がそれ以上支払うことも、貧しい者がそれ以下支払うことも禁じる。」

幕屋をつくるために、平等の負担金を出す決まりが、神の命令で定められたのですね。

「命の代償は平等」という原則があり、それに関しては厳格なのですね。

一方、「金銀青銅…」などの幕屋の資材は、自発的に制限なく、「もうこれで充分」と言われるまで集められました。

現代社会でも、「均等割」と「比例負担」のシステムが共存していますね。

人間の知恵で、様々な制度が工夫されてきたのでしょうね。

また、地域的な「社」で、「札」を強制的に販売している事例もあり、元はと言えば、上記の記述が下敷きになって、様々な宗教や時代を経て変遷してきたものなのかも知れません。