永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

他人に勝つよりも大切な事 嘉納治五郎

『人に勝つより自分に勝て。 嘉納治五郎

柔道の父と呼ばれた嘉納治五郎氏が遺したフレーズです。

柔道は、相手との戦いというのは一面のようです。

究極的には、試合は「お手合わせ」であり、よい組み手ができるかどうかに意識が向くのだそうです。

成果主義が蔓延り、賞金などがクローズアップされる時代ですから、勝ちにこだわる傾向が強いです。

勝負は時の運ともいいます。

当然のことながら、日常の鍛錬の積み重ね、ライバルとの切磋琢磨によって、鍛えられた上のことです。

これを運任せと考えてしまうと、鍛錬もせずに、試合に挑む無謀なことをしてしまうのです。

人生の中で、一番難しいのは、自己鍛錬です。それは、柔道でなくても、スポーツでなくても同じだと考えています。

その中で、大切な習慣は、自分の怠けたいという気持ちとどのように向き合い、折り合いをつけていくかです。

自分と健全に向き合う事が、一番、難しいのだと私は考えています。

これに対する教訓が「自分に勝て」というものだと言うのです。

試合でなくても、人との対話であっても、勝ち負けではなく、より良いコミュニケーション、つまり、有意義な時間を共有できるように考えて、準備をしておきたいです。

相手を言い負かしたつもりで、いきり立っている人を見かけることがありますが、私は好感が持てません。自分の振るまいがそのようになっていないか、注意したいなと考えています。


嘉納 治五郎(かのう じごろう、旧字体:嘉納󠄁 治五郞、万延元年10月28日〈1860年12月10日〉- 昭和13年〈1938年〉5月4日)は、日本の柔道家・教育者・貴族院議員。兵庫県出身。別表記:加納治五郎[1]。
講道館柔道の創始者であり[2]、柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力するなど、明治から昭和にかけて日本におけるスポーツの道を開いた。「柔道の父」と呼ばれ、また、「日本の体育の父」とも称される。
生涯
生い立ち
1860年12月10日(万延元年10月28日)、摂津国御影村(のちの兵庫県神戸市東灘区御影町)で、父・嘉納治郎作(希芝)と母・定子の三男として生まれる。柳宗悦の母は治五郎の姉。のちに菊正宗酒造白鶴酒造を経営した嘉納三家とは分家筋に当たる。
嘉納家は御影において屈指の名家であり、祖父の治作は酒造・廻船にて甚だ高名であった。治五郎の父・治郎作はその長女・定子に婿入りし、治作は当初、治郎作に家を継がせようとしていたが、治郎作はこれを治作の実子である義弟に譲り、自らは灘五郷の清酒を江戸に送る樽廻船業に従事した。幕府の廻船方御用達を務め、和田岬砲台の建造を請け負った。勝海舟を無名時代から評価していた函館の豪商である渋田利右衛門は自分が死んだ後でも勝の後援者になってくれる人物として、竹川竹斉、濱口梧陵、嘉納治郎作を紹介した。

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