『偽物や偽りが最もまともな真理のことく思われて、真実が曖昧なものとされている。もし、人々が厳しく真実だけを直視し、誤謬(ごびゅう)に陥ることのないようにすれば、人生とは、誰もが知っているものに譬(たと)えれば、御伽噺(おとぎばなし)やアラビアンナイトのように見えるだろう。 ソロー「森の生活ウォールデン』(宝島社)
「偽ブランド」とか「イミテーション」など話題になった時期がありました。
今でも、その業界の界隈では、本家と詐欺師のしのぎあいが続いているようです。
また、「フェイクニュース」という言い回しも、虎さんが発して以来、世界を巡っています。
まあ、本物の役割とニセモノの役割は、それぞれにあるようです。
庶民には、純銅製の器が関の山で、純銀製のものは、かなり日常使いが難しく感じられます。
純金製のものなど、最近は、価格も高騰していることから、セキュリティー上からもリスクが高くなります。
その様な時には、「イミテーション」が、活躍するのでしょうね。
「真実は人を不幸にする」という視点もあります。
人間は、自分の現実を認めたくありませんから、それを隠そうとします。隠しきれないのにです。
それを、誰かに指摘されると、真実であっても、酷く傷つく事もあります。
「曖昧なもの」が、まるで、潤滑剤のように、活用されているのが世の中の一面でもあります。
「嘘も方便」というのは、人に対しての優しい配慮という考え方ですね。
自分の人生は、どうなのかと考えると、まさに「おとぎ話のよう」だと感じます。それは、30年前の自分からは考えられない、クネクネ道の軌跡を見るからです。
自分にとって、どうすることもできない真実を見続けると、辛い気持ちに心が占領されそうです。
でも、自分の目のはるか遠くの希望を見つめることができると、幾分、マインドが落ち着きます。
介護や看病をしている最中の人に大切なものは、「ユーモア」だと話しています。
介護の現実は、衰退していくのを見守り寄り添う事ですから、その中で、お互いもマインドを保つための工夫です。
どの「ユーモア」を培う手助けになるのは、「おとぎ話」であっても、エンターテインメントもその一つなのかも知れませんね。
『千夜一夜物語』(せんやいちやものがたり、ペルシャ語: هزار و یک شب, Hezār-o yek šab, 千一夜、アラビア語: ألف ليلة وليلة, Alf Laylah wa Laylah, 千一夜)は、イスラム世界の説話集。ペルシャの王に、毎夜、妻が物語を語る形式を採る[注釈 1]。枠物語の手法で描かれた代表的な物語の一つとしても知られる。1704年にフランスで「千一夜」(フランス語: Les Mille et Une Nuits)として出版され、2年後、1706年にイングランドで英語版「アラビアンナイト・エンターテイメント」(英語: The Arabian Nights' Entertainment)が出版されたことで世界的に知られるようになった[2][3]。日本では、千夜一夜物語、アラビアンナイト、千一夜物語(せんいちやものがたり)の名称で知られている。