永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

訓戒への向き合い方 箴言12:1

『1 訓戒を愛する人は知識を愛する。叱責を憎む者は間抜け者。箴言12:1新改訳2017』

「誰かが言ってくれるうちが花」と言われます。

人間は、年齢が進むと、誰にも注意を受けなくなります。

周囲が大人の対応でスルーするのです。あるいは、陰でコソコソと言っているのでしょうね。

親子の間柄でも、ストレートに叱責できる関係が少なくなってきているのではないでしょうか?

それが、社会問題になりつつあります。

高齢化する引きこもり問題も、一世代上が積み残した宿題です。

これには、社会的な取り組みが求められていくことでしょう。

「訓戒」と聞くと、重たいイメージを持つ人が多いのではないでしょうか?

想像するに、ネチネチと説教された経験をお持ちだとお察しします。

ある親が、長男に注意している動画を見たことがあります。

その内容は、「課題」を指摘して、「人格」は尊重し、「親子関係」も肯定していました。聞いて見れば、名うての経営者だった父親らしく、見ている側にも響いてくる内容でした。

このような叱責ならば、相手に入るなと感じました。

そもそも、普段からの関係性ができた上での「叱責」です。

誰にも、そのようなことを言ってもらえない人は、その動画を見れば、その気になるかも知れませんね。

「叱責を憎む者は間抜け者」と結ばれているのは、かなり、辛辣です。でも、純粋な「叱責」は、聞き逃すのはモッタイナイと感じさせてくれます。

「訓戒」と「知識」を得ながら、自分の中の「知恵」をバージョンアップするという方向性は、人生をより良いものにしていく方向性です。

直接言われなくても、何かをキャッチするときに、訓戒として生かすのも、一つの応用です。

人格を否定するような罵詈雑言に傷つく人も多い世の中です。

人との距離を適正に保って、訓戒と知識を有効活用していきたいですね。