永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

良識について 箴言11:12

『12 隣人を蔑む者は良識がない。英知のある者は沈黙を守る。箴言11:12新改訳2017』

人間のエゴは、自分は善、他人は極悪という「ものさし」があることではないでしょうか?

そもそも、対等な人間関係は、究極的な課題です。それを目指していても、バランスの調整に課題があると考えています。

「言わぬが花」という考え方があります。

また、「沈黙は金、雄弁は銀」とも言われます。

これらの言い伝えのどこをイイとこ取りするかですね。

「隣人を蔑む」と言うのは何がその要因なのでしょうね。

自分の優位性を示したいから? だとしたら、自己満足の空回りになるかも知れません。

マウント合戦になりかねませんからね。

隣人を非難したいのは、自分の中に、それを掻き立てる要因があるから?だとしたら、表現するまえに静かに考えてみる必要があるのではないでしょうか?

自分の中に潜んでいる同様の課題を自己受容できていない可能性が高いですね。

「英知のある者は沈黙を守る。」と記されている人は、これが、ある程度以上、できている人です。

それは、自分を知れば知るほど、自分が未熟で、不完全であるかに気づかされるはずです。

その自分を自己受容するというのは、非常に大きなハードルです。

ある人にとっては、一生モノの仕事かも知れませんね。

でも、それができると、他人の不完全さも、ある程度、受容できるようになれます。

これには、お手本があります。

それは、十字架に架けられたメシアであるイエス・キリストです。

創造主である神【主】の三位一体の第二位格でありながら、全人類の救済をする為に、障壁となっていた「罪」を贖い、義を立てて、愛を示してくださいました。

その愛で、罪人である人をソックリと包んでくださるのです。

これこそ、究極の愛です。

人間は、どれだけできた人でも不完全です。

たたき合えば、ホコリがもうもうと立ちこめて、視界不良になることでしょう。

それを回避するには、「【主】による英知」が必要不可欠なのですね。