永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

美女と野獣の組み合わせの理由 モーム

『「なぜ美人はいつもつまらぬ男と結婚するんだろう?」「賢い男は美人と結婚しないからさ」 モーム

このフレーズを眺めていると「美女と野獣」のシーンを思いだしてしまいます。

ただ、野獣といっても元イケメンの設定は、ギャップがあるようにも感じますけれどね。

「蓼食う虫も好き好き」と言われるほど、男女の組み合わせは多種多様です。

裏返せば、ギャップがあるからこそ、お互いの補完関係と言うニーズも満たせる可能性があるのですね。

そもそも、「美人」とは何か? 「美形」とは何か?

私には、その定義が、見出せていない現状です。

でも、外見的に何らかの魅力を感じる人はいますので、自分が気になる範囲で考えれば、それが「美人」なのかも知れないと考えています。

それは、個人個人の感覚が違うので、「美人コンテスト」の尺度は賛否両論あるのがわかる気がします。

一般的に、「美人」が得なのか損なのか?

人の注目を集めて、気にかけてもらえるので、プレゼントなども多くもらえるのであれば、メリットになりますよね。しかし、自分を良く見せようと、気も遣い、コストもかけるのであれば、デメリットと感じる人もいるでしょう。

さらに、付きまとわれるリスクもあります。それが、イヤなら「美人なんてやめた」となるのかも知れないです。

一方、男性からの視点で考えると、「美人は魅力的」でも、コストがかかりそうと考えたり、自分とはバランスがとれないと思い込んでいたりする可能性があります。

外見だけではない何かを求めている可能性もあります。

結婚となれば、楽しいことばかりではありませんから、「三日で飽きる」ような関係性は長続きしないでしょう。それが、「賢い男は(外見だけの)美人と結婚しない」という一つの理由なのでしょうね。

「つまらない相手」と結婚する理由は、いつも飾り立てて、背伸びをしなくても良いからなのだと推察します。表現的には、ネガティブな雰囲気が漂っていますが、日常は落ち着いていた方が無難ではないでしょうか?

ドロドロとしたドラマのように、「美人」の価値を確かめるオークションのような三角関係が展開されれば、殺人事件に発展しかねません。世の中には、自己受容ができていない場合には、自分の価値を試そうと、相手の愛情を試そうという時期があっても不思議ではありません。

でも、それで一生を終えるのは、あまりにもモッタイナイですね。

「トロフィーワイフ」という言葉があります。それは、お金持ちの男性が、飾りになる妻という位置づけです。本当の意味合いで、関係が維持されていれば良いのですが、あまり良い意味では使われません。

お互いにとって、よりより人生を築いていけるパートナーと巡り会える人は幸せですね。

その可能性を感じなければ、一人でいるのも一つの選択ですよね。