永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

外灯としての役割 相田みつを

『外灯というのは 人のためにつけるんだよな わたしはどれだけ 外灯をつけられるだろうか 相田みつを「いちずに一本道いちずに一ッ事』(角川書店)』

外灯という表現から、様々なものが浮かんできます。

その一つが、電力事情が良くなかった頃の話、町が田んぼだらけだった頃の話です。工業高校の定時制に勤めていた先生が、夜9時くらいに自転車で、田んぼの中の道を帰途につくのだそうですが、文字通りの真っ暗毛で、肥だめに落ちてしまったことがあったと語り草にされていました。

当人にとっては、一生分のウンを掴んでしまったという苦い経験だったとお察ししますが、注意喚起としての話題でもあったようです。

このようなエピソードは、昭和の香りがします。第二次世界大戦後の復興期に広がっていた田園風景の中で起きたことなのですね。せめて月明かりがあれば回避できたかも知れませんが、前後不覚に陥るような闇夜もあったのでしょうね。もしかして、赤提灯に寄ったりしていたのかも…。

そのような外灯が少ない時代は、街は暗くて、移動するのも大変、治安にも影を落としていたことは想像できますが、その反面メリットもあったのではないかと想います。

それは、星空がキレイに見えただろうという話です。今の時代、衛星写真を見ると、夜でも都市部は煌々と明かりがついているのが確認できます。

これは、犯罪の抑止などには貢献していると言う反面、星空観察には大変な時代になったという一面を感じざるを得ません。

星空の観測のために、視力の回復と暗くなる観測場所を確保しておきたいモノですね。

さて、冒頭のフレーズですが、自分が周囲の人に明るさを提供する事ができているかという問いかけですね。

外灯の役割は、人の足元を照らすため、安心を与えるため、犯罪を未然に防ぐ治安維持のためなど様々です。

でも、人間関係にも、明るさが必要で、それに対する貢献ができているかという大切な役割について語られているのですね。

あの人と会うと明るい気分になるとか、あの人の事を考えるだけで明るくなるという要素です。

自分がその様な存在になれるのが理想です。

しかし、光と影の間を彷徨って生きているのが人間です。

それも、理解しながら、自分としての外灯の役割を考えて生きていきたいと考えています。

 

相田 みつを(あいだ みつを、本名:相田 光男、雅号:貪不安(ドンフアン)[1]、1924年大正13年)5月20日 - 1991年(平成3年)12月17日)は、日本の詩人、書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人[2]、いのちの詩人[3]とも称される。栃木県足利市出身。

相田みつを - Wikipedia