永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

年齢相応か不相応か 若々しさについて 85才で卓球を週4回する人

85才で、卓球を週4回しているという人に出会いました。

見た目は70代に見える男性です。自分から「85だよ」と言われたので、思わず「えっーーー」と声を上げてしまいました。

スポーツを健全に楽しんでいる方は、爽やかさが感じられます。

地元の卓球好きな人に聞いたら、有名な85才の人でした。

不思議なご縁で出会った方ですが、何をと言わず、イロイロ教えて頂きたいと思える存在です。

若作りしていなくても、健康的なライフスタイルが、そのような雰囲気を醸し出しているのかも知れませんね。

人生の折り返し地点付近にいると自覚した時に、焦りを持つ人もいれば、「ケセラセラ」のような人もいて、人間は不思議な生き物だなあと感じています。

社会の中で、良くないストレスに取り囲まれていると、それだけで、時間の流れが倍速になるような老け込みを感じるコトもあるでしょう。

自分が引き受けなくても良いことを引き受けないようにしたいものです。

もちろん、役割として自分の分を果たして行くことは、社会貢献としては大切な事だと考えています。

ここで、引き受けたくないことは、「とばっちりの類い」です。

言い方を変えるならば、「もらい事故に巻き込まれたくないと考えている」と言うことです。

もう一つは、自分がご機嫌で居られる場所やアイテムを確保すると言うことです。

前述の85才の男性も、卓球という場所としてを確保することによって、若さを支えているのだと考えられます。

自分がご機嫌で居られる場所作りは、人の真似から入るのも、入口の一つだとは思いますが、自分の身につく何かを見つけられたとしたら至福ですね。

場合によっては、その対象が「沼」だったりしますが、それはそれで、ドップリとはまるのも悪くないかも知れない。

でも、そこそこにしておいた方が、破綻を回避できる可能性をも考えておきたいですね。

大切なのは、「ご機嫌でいる」ことを自分自身で獲得したい。

ご機嫌を取るのでもなく、ご機嫌を取られるのでもない、探求の領域です。

「好きこそものの上手なれ」とは言うものの、必ずしも上手くなくても、自分がご機嫌で居られたらよいのですね。

その為に、「何かになる(行為)」という発想から「私である(存在)」にフォーカスして、どの環境に自分が置かれると、ご機嫌なのかを探っていきたいですね。

ゆとりを楽しめるのは最高なのですから、有難いことです。