「もういくつ寝るとお正月」なんて歌もありましたね。
とてもうれしいことがあると、「盆と正月が一緒に来た」なんておばあさんが喜んでいる姿を見たことがあります。
昔は、「正月」と「盆」が、スペシャルな二大イベントだったと言うことですね。
そんな指折り数えて待ちわびるほどの希望がある人は幸せですね。
何を数えて生きるかによって、人生が持つ意味が変わってきませんか。
人生で味わった恨み辛みを酒の肴にして、毎日数えている人もいます。毎日リマインドしているので、恨み辛みが消えることはないでしょうね。
まるで、自分だけが社会から取り残されているかのような自己憐憫の中に浸りきっていると、希望の光がまぶしく感じてしまうのかも知れませんね。
実際の所は、暗い中にいるからこそ、一筋の光が見えやすいと言うモノなのですが、その気持ちがなければ見ないでしょう。
通帳の残高や札束を数えて生きている人もいます。でも、その額が減少していくとニヤニヤがションボリになっていきそうです。
人生の些細なことでも、「良かったなあ」と思い返していると、それだけで幸せな気持ちになれます。
自分が思いがけずに、誰かにしたことで喜んでもらえたという経験があれば、それを思い返すたびに、幸せを感じることができますね。
ささやかな出来事を思い返して、エネルギーを維持している省エネタイプの人も多数派で、コツコツタイプなのでしょうね。
私は、「良かったなあ」と感じることを、近くの人と共有することにしています。
これから、「実現したら良い」と感じたことも、共有するようにしています。
それが、絶対実現しなくてはダメだ、とは考えていません。
それは、カタチを変えて実現することの方が多いという経験からです。
自分の願望に囚われすぎると、そこから外れたことは、「良かったなあ」とは思えなくなることを回避するためです。
つまり、私にとっては「実現したら良い」と考えることが希望の数え方の一つの方法になっています。
何よりも大切にしていることは「良かったなあ」と思えるマインドです。
何かがはじまる4月、まずは一人でも「良かったなあ」と思えるマインドで居られる人が増えれば良いなあと考えています。