永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

次の世界への扉

「次の世界に旅立つ」と聞くと、人によって捉え方が大きく異なるでしょうね。

「次の世界」について、私のイメージは、肉体を離れてパラダイスです。そこは、メシアであるイエス・キリストが復活後に、天に挙げられた所。そして、地上の大患難時代をそこからながめ、それが終わると、地上での千年王国がはじまる。その次は、新天新地(輝く御国)が待っている。そこで、永遠の幸福に浸る。

ヨハネの黙示録で示されている預言によれば、そのようになると、私は信じているのです。

古くから「輪廻転生」という発想もあります。それによると、人間だけではなく、他の何かに生まれ変わるというのです。

輪廻(りんね[1])または輪廻転生(りんねてんしょう[2][3])とは、サンスクリット語サンサーラ(संसार Saṃsāra[4][5])に由来する用語で、命あるものが何度も転生し、人だけでなく動物なども含めた生類として生まれ変わること[1]。日本語読みのリンネは、連声によるものである[1]。「生まれ変わり」は大多数のインド哲学における根本教義である[6][4][7] 。
インド哲学でのサンサーラ概念は、ヴェーダ以降の文献に根ざしており、理論はヴェーダ自体では議論されていない[8][9]。サンサーラ教義の完全な解説が記載されるのは、仏教やジャイナ教などの沙門宗教や、紀元前1千年紀半以降のヒンドゥー教のさまざまな学派である[10][11]。これによれば生物らは、死して後、生前の行為つまりカルマ(梵: karman)の結果、次の多様な生存となって生まれ変わるとされる。命あるものは何度も転生し、人だけでなく動物なども含めた生類として生まれ変わる[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB

 

参考にしたサイトの一部を貼り付けておきます。

でも、私には、理解しがたいです。

人間としては、肉体的生命を終えたとしたら、それで、無になるという考え方もあります。

果たして、どれが、正解なのかは、やがての時を待つ必要がありますね。

私は、「史実」と「聖書」を照らし合わせながら、検証した結果、前述のパラダイスがあると信じています。

「史実」とは、約2000年前、メシアであるイエス・キリストが、肉体に宿り、十字架に唯一の犠牲として架かり死に、葬られ、三日目に復活されたことがベースとしての暦が、A.D.2023年まで進みました。

「聖書」には、天地創造から、その前の宝石に光輝く世界(宝石の園エデン)についても記されています。そして、永遠の世界に至る預言を不思議な方法で、記しています。

それらは、封じられるものではなく、もっともっと開かれ、伝えられるものです。

その預言に、接した人々が、どのように判断されるかですね。

信仰は、強制されるものではありません。それぞれの自由意志で、情報を収集し、思考を働かせて、決断をする必要がありますね。

永遠は、人間のイメージを超えた領域です。ですから、それは、無いことになるのか、無いことにするのか?

それは、個人個人の自由意志で、許されていることです。

何をチャンスと感じるか? その機会をどうするか? それが、課題ですね。