永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

親知らず 子知らず 箴言10:1

『1 ソロモンの箴言。知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみとなる 箴言10:1新改訳2017』

人生の中で、誰のために、何のために生きているのかを見失ってしまう時があります。

時には、父を喜ばせるために、見栄をはってみたり、母を喜ばせるつもりが、上手くいかずにかえって悲しませてしまうこともあります。

親の喜びが、ぬか喜びになることも珍しく無いでしょうね。例えそうであっても、親はうれしいだろうと思います。

子どもの成長によって、親子で価値観に開きが出てくるのは、当たり前の現象です。

しかし、もし、支配権が親にあるならば、それを躊躇なく行使することでしょう。

そうすると、子どもは親の指令下に居ることになります。つまり、親のために生きる人生と言うことですね。

逆のケースもあります。子どもが支配権を持っていたら、親は子どもの思いのままに動かされることになるのです。

理想的だとイメージできるのは、対等な関わりでしょう。

つまり、親も自立状態、子どもも自立状態で、お互いに思いやりが存分に発揮できるケースです。

これは、実現するのがナカナカ難しいのです。

お互いに歩み寄ったり、少し引いたりして、程よい間隔を探る必要があるからです。

時には、それぞれの思いやりが「重いヤリ」に感じられるコトもあるでしょうね。

相手にアプローチするよりも、自分自身の自己確立を目指すことが、優先順序として大切にしたい項目だと考えています。

それは、親にも、子どもにも、大切な要素なのですね。

「いのちに関わること」、「法律を犯すこと」、それ以外は、自主性に任せるスタンスが大切なのですが、これは、結構、ハードルが高いようです。

親は、子の見え透いたご機嫌取りでも喜んでくれるかも知れません。

でも、それによって、自分自身が自己憐憫に苛まれると本末転倒です。

今までよりも、ほんの少し,距離を変えて関わってみるのも、親と子の関係性の確認に繋がるのでしょう。

相手の意志にとって、本当に大切な事を考えられるようになりたいですね。