永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

死に対する態度について アウレリウス

『人間にふさわしい態度は、死に対して無関心であるのでもなく、烈しい気持ちをいだくのでもなく、侮蔑するのでもなく、自然の働きの一つとしてこれを待つことである。 アウレリウス『自省録』(岩波書店)』

「死」とは何か? その前に、沈黙する人が多いのではないでしょうか?

これは、一義的には肉体的な死です。生を受けた人間が、それぞれの寿命を終えると、魂が肉体と分離されるのです。

肉体が亡骸になるのです。そして、土に帰る。 今は、火葬にされることがほとんどになっています。

日本でも、鳥葬、風葬、土葬などの習慣がありました。しかし、衛生的な面で、火葬が大勢を占めるようになってきています。

世界的には、エンバーミングという技術が古来からあるようです。ミイラなども、その系譜のようですが、潤いのある状態で保存できる技術もあるようです。

このフレーズは、「死」についての感じ方が問われています。

今は、核家族化も進み、介護も施設を利用するなど、身近な所で亡くなる近親者が少ないので、人間がどのように衰え、最期を迎えるのかについてのイメージが薄いのではないでしょうか?

また、臨終に立ち会わないというケースも多く、それらも合わせて、戸惑いもあるのかも知れません。

自分が、健康に不安が無い状態の時には、「死」をイメージしません。自分の健康状態に、変化がおとずれた時に、じわっと、未体験ゾーンへの不安感が広がっていくのでしょうね。

人間は、生まれて来て、いつか死を迎えるのです。無意識のうちに、「死にたくない」という意識が強い感覚もあります。

不思議なコトに「生きたい」よりも、「死にたくない」のです。何に対する抵抗感なのでしょうか?

「死」とは、自然な働きの一つと言われますが、それとは、意識の乖離がある人が多数派なのでしょうね。

その理由を考えると「死」の先が、未体験ゾーンだからなのだろうと、私は推察しています。

古来から、霊媒師(イタコ、ユタ、人寄せ)などの職業があります。それに頼りたい人間の弱さが、ニーズとしてあるのでしょうね。

肉体的死の先にあるものを含めて、自分なりに研究しておく必要性を感じます。

近親者の「死」や自分の「死」というシミュレーションも必要なのでしょうね。

また、遺す何かについても、必要な手当てが必要だと考えています。

 

マルクス・アウレリウス・アントニヌス(古典ラテン語:Marcus Aurelius Antoninus [notes 1]121年4月26日 - 180年3月17日[3])は、第16代ローマ皇帝である。五賢帝最後の皇帝。第15代皇帝アントニヌス・ピウスの后妃ファウスティナ・マイヨル(大ファウスティナ)の甥で先帝の外戚にあたり、また大ファウスティナはハドリアヌストラヤヌスの傍系血族でもある。

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