永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

指導力の真髄について 箴言12:5

『5 正しい人の考えは公正。悪しき者の助言は欺瞞。 箴言12:5 新改訳2017』

不正は、人間社会では、公然の秘密になっています。

何かの不祥事の報道があっても、「それは適正に処理しました。」という流れで、疑惑にフタをします。余程のことがなければ、そのフタが開けられることはありません。

それに対して、公正は、「正しくあるコト」や「私利私欲を最優先しないこと」で、時には、理想論と言われますが、これがないと社会が成り立ちません。

不正が横行する社会では、何れ破綻に向かうでしょうね。

人間は、誰でも「ワル」を引き継いでいますので、何かの誘惑に負けてしまえば、いつでも不正に走ってしまう可能性があります。これは、DNA的な問題ですから、この傾向を意識して、留意することも大切ですね。

特に、誰かを指導する立場の人には、多くのプレッシャーがかかります。

指導者には、常に「あんただってワルだろ」という視線が向けられるからです。

それを乗り越えてこそ、適正な指導力を発揮することができるのですね。

それには、「先見性」「計画性」「指導力」が試されます。それが、公正の原則に沿っていることも、支持されるために大きな要素です。

最近の指導者は、「ハラハラ(ハラスメント)」を指摘されやすいので、「オラオラ体質」や「オレだけは特別」という、身勝手さが見えれば、人がついてこないばかりか離れていきます。

もちろん、何もかも杓子定規に物事を進めるのは困難ですから、臨機応変さと柔軟な対応も求められます。

一番難しいのは、相手に合わせて、相手にシックリくる伝え方だと考えています。

「正しい」と「悪い」は、両極端な対比をイメージし、戸惑いを感じる人も多いですから、罪責感を持たれないような工夫も大切ですね。

世の中には、警察官や裁判官のような視点だけを持った非情な監視の目も存在します。

自分を律するためには、その様な客観的な視点も大切ですが、批判や審判ばかりでは、世の中は立ち行きません。もう一人の自分のあり方を設定し、育てていく必要もありますね。

よりスムーズな進展のために、「公正」を大切に育みたいです。

また、「悪しき者の助言」は「欺瞞」であるという教訓も、心に留めておきたいです。

「欺瞞」に満ちた世の中で、「蛇のように賢く、鳩のように素直に」生きて行くために大切な事ですね。