永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

オーバーフローした時に、まず立ち止まって整理整頓

人生には、自分の限界を知るときが来ます。

「モテ期」があるのだと説明する人もいますが、人間の対応力は、それほど広くないようです。

個人差や能力差があり、恋愛なども「7股」などと、活発な人もいます。

経営者にも、やり手の人は、同時に多くの事業を立ち上げて、維持発展させています。

それでも、自分だけでは、どうしても処理しきれない局面に遭遇します。

「オーバーフロー」ですね。

自分の器に収まりきらずに溢れてしまうのです。

何かを始めるときには、積極的にアピールをして、「どんな些細なことでさせていただきます」なんて、調子の良いことを言います。でも、忙しくなってくると、案件を選び出すのです。

もちろん、自分の能力には限界があり、身体は一つですから、その現実に目を向けていく必要があるのです。

自分にも、「モテ期」が来たと思ったら、まず、立ち止まって、情報の整理整頓をした方が良いと考えています。

普段、「すること」「思いついたこと」「衝撃を受けたこと」「その他の重要なコト」を書きながら、日常を管理しているとしても、それぞれの具体化がなければ、次に進めるのに渋滞が発生してしまいます。

「すること」は、特に、「いつ、どこで、誰と、何をどうするのか?」を決めていく必要があります。

ただ単に、人と数多く会っていても、お互いの「win-win」に繋がらず、時間の浪費になってしまうことがありますから、用心が必要ですね。

お誘いを受けたときにも、吟味や内容の検討は、ある程度必要なのだと考えます。

私が肝に銘じているのは、「調子が良すぎることは、言わないようにする」と言うことです。「何でもやります。」では無しに「できることは可能な限りいたします。」という表現に留めています。

「忙しすぎることは、身を滅ぼす方向性」だとも考えているので、自分がコントロールできる範囲内で、動こうという意識でいます。

でも、自分のハンドリングの中で、興味があることには手を伸ばすことはできます。他者が利害関係で絡むと、自由度が極端に狭くなってしまうこともありますからね。

「自由は不自由」と感じる不思議な心理もありますし、「一人は寂しい」という考え方もあります。しかし、「個の確立」からすべてがはじまると考えれば、「寂しさの背景」を見ることができます。つまり、個の確立ができていないと寂しさだけを強く感じてしまうという流れを理解をしています。

「忙しいから自分はイケている」とか「忙しいから人生充実している」は、検証しておかないと、気がつけば大赤字な結果に繋がる可能性もあります。

「モテ期」が到来しても、慌てない、浮き足立たないを大切にしたいと考えています。