永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

知恵がある人は、わきまえることができる人 箴言9:1-4

『1 知恵は自分の家を建て、石の柱を七本、切り出し、2 いけにえを屠り、ぶどう酒を混ぜ合わせ、その食卓も整え、3 侍女たちにことづけて、町の最も高い所で呼びかけさせた。4 「浅はかな者はみな、ここに来なさい」と。また、良識のない者に言った。(箴言9:1-4新改訳2017)』

「いのち」を育み支える「知恵」が大切な時代だと感じています。

様々な「化学の魔法」を振りかけられたモノに囲まれて生活しています。

でも、流されたり、油断していると、いつの間にか、その渦に飲み込まれていきます。

食品や洗剤などにも注意が必要な時代ですが、ここでは、「家」をテーマとして語られています。

「知恵は自分の家を建て」と記されているのは、福音書の家の例え(マタイ伝福音書7:24-27)を思い起こさせます。

しっかりとした家を建てるためには「知恵」が大切なのですね。

まず、土台をどこに据えるのか?

どのような基礎を作るのか、構造をどうするかなど、環境に合わせて工夫する「知恵」も必要です。

この箇所は、「良識のない者」に対する語りかけです。

逆に考えれば、「いけにえを屠り、ぶどう酒を混ぜ合わせ、その食卓も整え」てある所は、言わば「知恵の配給所」と考えられるのですね。

しかし、この「知恵」を受け取るのにも、「知恵」が必要なのです。

それは、「謙遜」であり、「感謝」して、頂戴する姿勢です。人に対して、ペコペコするのではなく、【主】に対する態度が大切です。

それは、姿形よりも、内面が見られているという所がポイントです。

それは、自分の家を構えるということは、「自立する」ということも重なります。

一人の人間として、どのように創造され、生かされ、育まれてきたかを受け入れ、「自己受容  する所からはじまります。

そして、身を低くして、「【主】の愛」を受け取る時に、「知恵」への道筋ができるのです。

日本でも、家庭などに居場所がなく「○○キッズ」といわれる少年少女がいます。何かを求めて、そこに何かがあると考えて、集まってくるようです。

そこには、よく似た境遇の人たちがいて、互いにわかり合える要素もあるようですが、大いなるキケンもあるようです。

はぐれたり、いじけたり、自暴自棄になった人に忍び寄ってくるワルい人たちもいます。

「捨てる神あれば拾う神あり」と言われますが、「【主】は拾う神」です。

拾った上に、「知恵」まで授けてもらえるのですから、有難い事ですね。