永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

流刑の地(パトモス)で見た幻 ヨハネ黙示録1:9-20

『9 私ヨハネは、あなたがたの兄弟で、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐にあずかっている者であり、神のことばとイエスの証しのゆえに、パトモスという島にいた。10 私は主の日に御霊に捕らえられ、私のうしろにラッパのような大きな声を聞いた。11 その声はこう言った。「あなたが見たことを巻物に記して、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアに送りなさい。」12 私は、自分に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。13 また、その燭台の真ん中に、人の子のような方が見えた。その方は、足まで垂れた衣をまとい、胸に金の帯を締めていた。14 その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は燃える炎のようであった。15 その足は、炉で精錬された、光り輝く真鍮のようで、その声は大水のとどろきのようであった。16 また、右手に七つの星を持ち、口から鋭い両刃の剣が出ていて、顔は強く照り輝く太陽のようであった。17 この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、18 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。19 それゆえ、あなたが見たこと、今あること、この後起ころうとしていることを書き記せ。20 あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台の、秘められた意味について。七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。 (ヨハネの黙示録1:9-20新改訳2017)』

イエス・キリストにもたれかかっていた使徒の一人ヨハネは、福音への迫害のために捕らえられパトモス島に流刑されていました。その時に【主】から見せられた幻を記したのが、ヨハネの黙示録です。パウロヨハネも獄中で執筆をしていたのですね。【主】の計画は、人知には予測不能ですが、このように、とらわれの身になった時でも、幻の啓示を与え、それを伝達するように促されるのですから、【主】にはムダが無いのかも知れませんね。

メシアであるイエス・キリストの昇天後、福音宣教は拡大し、地中海を西へ広がった中に、現トルコの小アジヤ地方(アナトリア半島)がありました。その地域には、主に7つの地方教会があり、それぞれに特徴がありました。それは、各時代における地方教会の状態を表していたからです。

「人の子」のような姿を見た時、ヨハネは「死んだ者のように倒れ込んだ」と言うのは、正に神々しい光景を目の当たりにしてのことでしょうね。

そのような状態のヨハネに、右手を置いて「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、18 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。…」と語られました。

かつて、そばで共に生活していた時の声とどれほどの差があったかは、ヨハネにしか分からないのでしょうけれど、安心感があり平安に満ちた語りかけだったと想像します。

生きている【主】が、今も、後も、世々限りなく共にいてくださるのです。【主】は人間と共に、信仰者には実感を伴って、そばにいてくださるのです。これほど安心なことはないのではないでしょうか?

パトモス島 (パトモスとう、Patmos, Πάτμος) は、トルコ沿岸部から程近いエーゲ海に浮かぶギリシャの小島[1]。サモス島の南35キロメートルの所にあり、ドデカネス諸島の最北部の島である[2]。「ヨハネの黙示録」の著者ヨハネが、イエス・キリストから啓示を受けたとされる島として知られている。

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小アジヤ アナトリア半島アナトリアはんとう、ギリシア語: Ανατολία, Anatolia / Aνατολή, Anatolē、トルコ語: Anadolu)は、アジア大陸最西部で西アジアの一部をなす地域である。現在はトルコ共和国のアジア部分をなす。日本語ではアナトリア半島と呼ばれる事が多い

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