『人間は安楽に満足して生きたいと思うが、自然は人間が安楽と無為の満足に甘んじさせず、労苦や労働に打ち克つ手段の発見に知恵をしぼらせようとして、労苦や労働のなかに人間をほうりこむ。 カント』
パスカルによると、人間はいつも何かを考える生き物だそうです。
問題は何を考えているのか? ですね。
「快」「楽」をイメージしながら、現実は「金」「苦」がグルグルしている人もいいるのかも知れませんね。
人は、どうして「労働を苦役」だと感じるようになったのでしょうか?
それは、エデンの園から追放された後ではないかと言われています。
ただし、労働の本質を理解している人は喜びや充実感を伴って「ハタラク(周囲の人を楽にさせる)」事ができるのです。それは、実利実益に適う方向性です。
それが、不明確だと「はたら苦」に打ちのめされてしまいますね。怠惰は放蕩、果ては破滅への道になりかねません。
私は、人間は創造主である神によって造られた存在だと信じる立場ですが、その歴史を見ると、冒頭のフレーズの流れのようになっています。
最初の人間が置かれたエデンの園は、すべてが揃い、人間の役割はあったようですが、それには、「苦役」が伴わず、「喜び」を伴うものだったようです。
しかし、エデンの園を追放された後は、「額に汗して働く」ような「苦役」が日常になっていったというのです。
人間は、まるで、炎に近寄っていく蝶蝶のように、厳しい方に引き寄せられていくような、選択をしてしまいやすいです。
でも、成長のため、また、活路の開いていくためには、自分が取り組む課題が分かりやすい方が、自分なりに解決を見出す近道になりそうです。
それをどのように見据えて、どのように取り組むかが、人生の宿題なのでしょうね。
「私は、神にロックオンされているようだ」と感想を漏らした知人がいました。
それに対して「ロックオンされているとは、神に愛されていますね。」と返信しました。
平安や祝福、そして、繁栄を御利益だと考えて、有難く頂戴することも大切です。
しかし、最も大切なことは、自分にとっては、試練・困難だと感じるものも、神からのプレゼントという認識です。
その中に、隠されている祝福やめぐみを味わって行く人生も刺激に満ちているのですからね。
※試練・困難の性質によっては、避けた方が良いものもあります。これはご用心です。自分の器量に合わせての対応が肝要だと心得ています。