永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

怒り狂う理由 アラン

『叡知、これは怒り狂った判断を克服した徳である。 アラン』

怒りはどこから来るのでしょうか?

怒り狂うことに取り憑かれた人の周囲の人々が困惑しています。

でも、当人の心の整理は、怒ることで行われているのですから、そのプログラムを変更しない限りは変わりません。

一言にプログラム変更と言っても、人間の脳は体験の積み重ねで、習慣が浸透していますから、かなりの意識と努力が必要になります。

その第一歩は、自分の怒りに気づき、客観視する所からはじめます。

正義感からなのか? 自分が蔑ろにされていると感じるからなのか? 何かの要因はあるはずです。

また、薬物や嗜癖によるモノの可能性もあるかも知れませんね。

自分の感情の入口と出口を観察する必要があります。

怒ることは、本来の冷静でいられる自分が、乗っ取られている状態です。

この状態に気づき、客観的に観察できる要素が、叡知だとされ、非常に大切な要素なのですね。

世の中に歪んだ正義感が渦巻き、怒りの渦も広がっていますが、自分の本意でなければ、巻き込まれないように注意したいです。

    アラン(Alain)ことエミール=オーギュスト・シャルティエ(フランス語:Emile-Auguste Chartier、1868年3月3日 - 1951年6月2日)は、フランス帝国フランス第二帝政)ノルマンディー・モルターニュ=オー=ペルシュ出身の哲学者、評論家、モラリスト[2][3][4]。

ペンネームのアランは、フランス中世の詩人、作家であるアラン・シャルティエ(英語版)に由来する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/エミール=オーギュスト・シャルティエ 参照 2021年12月16日)