『叡知、これは怒り狂った判断を克服した徳である。 アラン』
怒りはどこから来るのでしょうか?
怒り狂うことに取り憑かれた人の周囲の人々が困惑しています。
でも、当人の心の整理は、怒ることで行われているのですから、そのプログラムを変更しない限りは変わりません。
一言にプログラム変更と言っても、人間の脳は体験の積み重ねで、習慣が浸透していますから、かなりの意識と努力が必要になります。
その第一歩は、自分の怒りに気づき、客観視する所からはじめます。
正義感からなのか? 自分が蔑ろにされていると感じるからなのか? 何かの要因はあるはずです。
また、薬物や嗜癖によるモノの可能性もあるかも知れませんね。
自分の感情の入口と出口を観察する必要があります。
怒ることは、本来の冷静でいられる自分が、乗っ取られている状態です。
この状態に気づき、客観的に観察できる要素が、叡知だとされ、非常に大切な要素なのですね。
世の中に歪んだ正義感が渦巻き、怒りの渦も広がっていますが、自分の本意でなければ、巻き込まれないように注意したいです。
アラン(Alain)ことエミール=オーギュスト・シャルティエ(フランス語:Emile-Auguste Chartier、1868年3月3日 - 1951年6月2日)は、フランス帝国(フランス第二帝政)ノルマンディー・モルターニュ=オー=ペルシュ出身の哲学者、評論家、モラリスト[2][3][4]。
ペンネームのアランは、フランス中世の詩人、作家であるアラン・シャルティエ(英語版)に由来する。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/エミール=オーギュスト・シャルティエ 参照 2021年12月16日)