永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

他責ではみじめに拍車がかかるだけ 箴言19:3

『人の愚かさは自らの道を滅ぼす。その心は【主】に向かって激しく怒る。(箴言19:3新改訳2017)』

自分が抱えている気持ちをどのように吐き出すかが、その人の状態を示します。

何もかも自分のせいだと決め込んで、落ち込みの中で暮らす人がいます。

一方、ウマくいかないのは、自分のせいではなく、周囲の他人が悪いと決め込む人もいます。この傾向がある人は、うまくいったら、全部自分の力だと自慢する傾向もあります。

これは、両極端な例ですが、周囲を見回して、「ああ、なるほど」というイメージが湧くのではないでしょうか?

自分のイメージと違う結果に至ったのは、様々な要因を考える必要がありますね。

その中で、自分が携わった部分が適切だったかどうかを冷静に分析することが大切です。

でも、ウマくいかなかったと感情的になってしまうと、それができないのです。

お門違いな方法を採用してしまうと、自分自身が迷宮に入ってしまうのですが、多くの場合、誰かを責めることで気持ちを収めようとします。

この方法は、堂々巡りなので、火に油を注ぎ、炎上してしまいがちです。

周囲の人だけなら、まだ、可愛いモノですが、それを【主】に向かって、してしまうのです。

その結果は、手にツバを吐くことになり、自分に返ってきてしまうのですね。

そのような解決法を「愚か」と分類しています。選択の誤りは、事態をさらに悪化させることもあります。

その気持ちを落ち着かせる方法は、まず深呼吸です。

そして、もう一つ、深呼吸です。

心拍数や呼吸が落ち着いたところで、「自分は適切な判断でコトに望んだのか?」と自問してみましょう。

自分の段取りや備えが不十分だったとか、言葉が足りなかったとか、様々な要因はリストアップできるはずです。

自分が関わっていないのに、責任だけ取らされるなどという理不尽なこともあります。その試練には、何かの宝が隠されているのかも知れません。

もちろん、降りかかる火の粉を振り払う事も時には必要になりますが、自分に非がないならば、感情的になっても良い方向には向かないからです。

自分でさえ、コントロールできないほど感情的になることが「愚か」への道と心得ておく必要がありますね。