器量というコトバがあります。
私は、人それぞれに、授かっている容量だと、私は理解しています。
聖書の中に「土の器」という表現がありますが、これは色々な意味合いを含んでいます。
その一つは、人間の肉体の原料は、土の塵だとされています。やがて、肉体的生命を終えると、亡骸として土に帰りますから、究極のリサイクルですね。
もう一つは、肉体は生きた器であるということです。人間の霊魂を守るために、与えられている優れたモノなのですね。
しかし、容量が有限ですから、時として、容量オーバーになってしまうこともあります。
情報過多の時代ですから、なおさら余計ですが、取り込みすぎるとオーバーフローします。
食事でも、魅力的な美味しいお菓子でも、食べ過ぎると、身体にも負担がかかります。適度な消化、代謝に合わせた摂取を心がけることが大切だと言われております。
また、喜怒哀楽を拾い集めますから、それを入れておく脳や心にも大きな負担がかかっている人もいるのではないでしょうか?
取り込むという一方通行ではなく、アウトプットサイクルを作り、双方向あるいは循環型に変えていくと、バランスの調整が可能になります。
情報や感情を取り込んだら、自分の思考を通過させて、別なカタチに表現するのです。
文章でも良いですし、絵を描画するのも良いですね。ただ単に、色を塗るだけでもセラピー効果は期待できます。
誰かと、感動などを共有することも大切なのですが、その前に、自分なりのアウトプットがあると、より良く相手に伝わりやすくなることが期待できます。
自分自身の思考のフィルターを通すことによって、味噌や醤油が美味しくなるような発酵に似た工程のイメージでしょうか?
アウトプットが苦手という人は、自分なりの表現を周囲に否定された経験があるというパターンもあります。その体験が心理抵抗になっているという一説です。
でも、自分なりの表現方法を試行錯誤しながら、最適解にたどり着いた時に、きっと晴れやかなマインドを実感できることでしょう。