永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

器を感じて愛用する ちょうどよい器に

「容器」というと何を思い浮かべますか?

それは、お弁当箱だったり、タッパーであったりします。

でも、部屋でも、家でも、車でも、器の役割をしています。

また、食器の類い、お茶碗だとか、コーヒーカップだとか、日常的にそばにある器もありますね。

陶芸に憧れる人がいます。自分で、土を捏ねて成形する感覚は、幼少期の粘土遊びとはまた違う感じの快感が伴うようです。そして、焼成されて、唯一無二の自分の作品として手にするのですから、感激も一入だそうです。

そうすると、あっという間に食器棚から、多くの食器が溢れ出すと聞きます。さらに、それを割らない限り、手放すのが惜しくなります。自分の分身のようなものですから当然ですね。

日常使っている陶器はナカナカ割れずに、たまに使うとっておきの食器を割ってしまう悲報も聞きます。どうも、あるあるのようです。

部屋でも、自分やいろいろなものを収納するための器です。その空間にあわせたプロデュースが必要です。適度なバランスで、必要なモノ、身近においておきたいモノなどを並べていく必要があります。

自分自身の身体も器です。「土の器」という表現もありますが、自分自身の生命を保つために必要なモノなどを入れている器です。

個人差があり、胃袋の容量は違います。でも、個数は一つです。

人の器というものさしもあります。これも、個人差が非常に大きいです。その人の心の大きさをどのように感じるかという一面ですね。この大小によって、人との交友範囲も変わってくるようです。

さて、自分自身にとって、程よい器に囲まれていないと、精神状態も不安定になりそうだと思いませんか?

もしかして、今、何か違和感を抱いているのは、そのような状態かも知れませんね。

大豪邸に住んでいても、何か空しいと聞くこともあります。今の気持ちとのギャップがあるのでしょうか?

色々な器について考えて見ましたが、生活の基本は食事ですから、お気に入りの器で、程よい量の美味しい食事を有難く頂きたいものですね。