フリーランスが持て囃され、あるカフェでは、ノマド民が溢れていた時期がありました。
ある人は、「本当の自由を目指して「フリーランス」になったのだけれど、時間は不規則だし、収入は不安定だし、こんなハズじゃあ無かった。」と言っていました。
法人格を持って、バリバリ仕事をこなしている方がいる一方、ナカナカ仕事がとれないというため息も聞こえてきます。
考えてみれば、人間には得手不得手があります。
営業が向いている人、技術の細々した作業が向いている人など、それぞれです。
仕事になるかどうかの決め手は、仕事がとれるか否かですから、営業力が大切と言うことです。
でも、仕事をとっても、完成できなかったり、納期を守れなかったり、採算をとれなかったりすると、商売になりません。
このようなところから、営業が得意な人が仕事をとり、技術がある人が納期までに完成し納品して集金するという形態になるのですね。
それが、一つのサイクルですから、そのまとまりが、法人(会社)となって活動するわけです。
仕事をこなすだけで四苦八苦では、福利厚生なんて絵に描いた餅です。
大手の会社のすごいところは、ある程度の売上を達成し、人件費や福利厚生費を確保しているコトです。
本当に自由な労働環境が手に入れたかったら、この大手の会社をしのぐ内容の仕事をする必要がありますね。
働き方改革なども、よく聞く時代になりましたが、目の前のニーズと、それぞれの状況に、いつもミスマッチが起きるであろうコトは、想像に難くありません。
昔、チャップリンがつくった映画のモダンタイムズを思い出します。
「人間が歯車の一部になる」という象徴的な描写は大きなインパクトでした。
いつの時代も、人間は、仕事、責任、採算、休養、対人関係、家族などの板挟みになり、自由からは、ほど遠い現実があります。
自由な労働環境は、果たして手に入れた人もいるのでしょうけれど、まだまだ、少数派のようですね。