『あなたはほかの神を拝んではならない。主はその名を熱情といい、熱情の神である。 (出34:14新共同訳)』
『あなたは、ほかの神を拝んではならない。【主】は、その名がねたみであり、ねたみの神であるから。(出34:14新改訳2017)』
自分の立ち位置をどのように考えるかによって、様々な価値観の違いが生じます。実際のところ、世の中は多様な価値観で溢れています。
私の場合、聖書との出会い、葛藤した荒野の40年を経て、永遠の幸福マインドで今ココを歩く事が、平安への唯一のパスポートであると考えるに至りました。
聖書やイスラエルについて、神学的、組織政治、宗教的な解釈によって、必ずしも、真の自由を享受できないような現状があることも理解しています。
その中で、ヘブル的聖書解釈において、ハーベストタイムミニストリーズに共感性をもっております。もっと、聖書に根ざしたイスラエルを理解したいと願っている方は、ハーベストタイムミニストリーズのメッセージステーションを参考にして下さい。
冒頭の聖句は、十戒の中の規定です。神は唯一で、三位一体として、地球のみならず全宇宙に満ちているということを受け入れられるか否かが、最重要テーマになっています。
それ以外は、「神ではない偶像である」という流れに、多くの人は、「神様なのに心の狭い事を」などと、揶揄するようなコトを言います。
でも、人間に見えていない背景をイメージすると、唯一の神から、他に意識をそらす感化が非常に多い現実があります。
人間の前には、本当の神を信じるのか、それ以外(どのような形態でも背後にはサタンがいる)という選択肢しかないのです。
それにしても、「ねたむ神」という表現は過激です。別の翻訳では「熱情」と記されています。
その理由は、愛の裏返しは嫉妬という一面があるからです。
夫婦関係で、パートナーが自分ではない対象と、自分以上に親しくしているように見えると、嫉妬という感情が芽生えて、トラブルに発展する事もあるとイメージするとわかりやすいと思います。人間的な理解の為です。
聖書に基づけば、人間は、創造主である神に造られた被造物です。
『同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。 (イザヤ46:4新共同訳)』
ですから、一旦、道を踏み外した人間を平安な道へと軌道修正できるように促しているのですね。
そして、肉体的生命のサポートを約束して下さっています。
『わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」 (マタイ28:20新共同訳)』
人間が拒否しない限りは、常に共にいて下さるのが、創造主である神なのですね。