永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

モーセはファラオ(パロ)に挑む 出エジプト5:1-2

『その後、モーセとアロンはファラオのところに行き、そして言った。「イスラエルの神、【主】はこう仰せられます。『わたしの民を去らせ、荒野でわたしのために祭りを行えるようにせよ。』」ファラオは答えた。「【主】とは何者だ。私がその声を聞いて、イスラエルを去らせなければならないとは。私は【主】を知らない。イスラエルは去らせない。」(出エジプト5:1-2新改訳2017)』

いよいよ「創造主である神」と「地上の権力者でエジプトの神々の上に君臨するファラオ」との対決です。

モーセとアロンは、ファラオの前に出て、「イスラエルの民を解放せよ」との創造主である神からのメッセージを伝えました。

それに対して、ファラオは「【主】とは何者だ。私がその声を聞いて、イスラエルを去らせなければならないとは。私は【主】を知らない。イスラエルは去らせない。」と、応答しました。

かつて、ヨセフがエジプトのナンバーツーをしていた時代のことは、忘却の彼方という感じですね。

歴史によると、ヨセフの時代のエジプト王朝はセム系だったとされていて、イスラエルと同系統なために、イスラエルに対しては、友好的だったと言われています。クーデターがあったのか、モーセの時代には権力が変化していたのですね。

その後、エジプトの地で増え広がったイスラエル12部族が相当な数になっていたので、エジプトにとっては、奴隷にして搾取し、体力も経済力も削ぐ方が、体制の維持には良いと考えていたのかも知れませんね。

この対決の構図は、「創造主である神は奴隷状態にあるイスラエルの神」で、「ファラオはエジプトの神々の頂点に君臨」していました。創造主である神の目的は、礼拝する民をつくるためでした。最低限に要求を『わたしの民を去らせ、荒野でわたしのために祭りを行えるようにせよ。』としたのですが、ファラオは創造主である神を知らないと軽蔑をしたのです。

いつの時代も光と闇がぶつかり合い、見ている人をガッカリさせる光景が広がっています。どうして、その様に感じるのかですが、自分の想定の速さよりも格段に遅くことが運んだりするからです。

創造主である神がついているとは言え、ファラオはかなりの難敵のようですね。