永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

処分できるモノと棚上げしておくモノ

本来は几帳面な人が喪失体験などをきっかけに、ゴミ屋敷の住人になるという変化を目の当たりにしてきました。

そこまで、極端な例では無くても、日常の行動に変化が出ると、ペースがつかみにくくなり、部屋の中に滞りが出てくる箇所が出たりしますね。

片付けのスペシャリストのアドバイスは、「ときめくか」「ときめかないか」という分類や「今、使うか」「今、使わないか」という仕分けもあります。それぞれの性格にフィットするルールが見つかれば、よりスムーズに作業が進むことでしょうね。

「処分する」ことが「捨てる」コトと重なり、「罪悪感」に苛まれる体験があります。あまり「捨てる」と後味が良くないですね。

「人に押しつけたり」「リサイクルショップ」に持って行ったりして、罪悪感から逃避したいと考えてしまうこともありますね。二束三文や買い取り不能というケースもありますから、「骨折り損のくたびれもうけ」的な疲労感も感じつつ、モノが片付いたという爽快感も少し感じます。

しかし、合理的に考えれば、「罪悪感」から遠ざかるための「手間ひま」を考えると、自分の管理する領域の外に出るのであれば結果的には良いと言うことになります。

仕分けは、「今、使うモノ」「やがて、使うモノ(棚上げ)」「使う見込みが感じられないモノ」などにしています。そして、「使う見込みが感じられないモノ」については、処分することにマイルールを設定しました。

「今、使うモノ」の配置について考えられるようにしています。「できるだけ使いやすいように」、「視界に入りやすいように」というテーマに気持ちを向けられるようになりました。

使用頻度が低いモノは、押し入れの奥から、そして位置が検索できるような工夫も大切ですね。

数十年間のモノを抱えて生きている人間は、不思議な動物ですよね。