永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

ゆるがない霊

『神よ私にきよい心を造り揺るがない霊を私のうちに新しくしてください。(詩51:10新改訳2017)』
『神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください。(詩51:10新共同訳)』

「永遠の幸福マインド」とか「どんなときも大丈夫!」などと聞くと、素直に共感してくれる人と、そんなことを言っているこの人は本当に大丈夫なのだろうか?と懐疑的に見る人、無関心な人などに大別されます。

人間には、アダム以来受け継いだ「罪」のDNAのありますが、良いことを選択しようとする「良心」も備えられています。これが機能すると「良心の呵責」の作用を感じるコトができるのですね。つまり、自分が得ている利益が、他者の犠牲の上に成立していると知ると「心が痛む」というような感覚ですね。

また、人間は肉体的生命に宿っている間には、「罪」は外科手術できないものですから、付き合っていく以外には選択肢がないようです。

詩篇の作者も「きよい心」を求めたい気持ちがあったのですね。自分の心に向き合う人には、感じやすいことなのかも知れませんね。

そして、もう一つの願いは「揺るがない霊」と記されています。別の翻訳では「新しく確かな霊」となっています。これは、時代を超えて、つねに揺らぎ続ける人間が共通する願望なのでしょうか?

イエス・キリストの十字架以降の信仰者は、信じる瞬間から、心に「聖霊の宮」が造られます。時代を超えた願いが実現したのですね。

その領域は、ゴムまりのように、その人の心域で、「生まれながらの心領域」とシェアされるのです。つまり、「聖霊の宮」が大きくなると「生まれながらの心領域」がせまくなり、逆転もするのですね。

「揺るがない霊」とは、この「聖霊の宮」のことなのですね。