永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

人の裕福度 ソロー

『人の裕福度は、その人が放ったままにしておける余裕のある物事の数に応じて決まる。 ソロー』

「金持ち喧嘩せず」という言葉を耳にします。本意は、他人と無用な争いをしないというコトのようですね。

このフレーズから感じられるのは、「心のゆとりが人生を決める」という要素です。

少しニュアンスは違うようにも感じられますが、「他人と無用な争いをしない」という部分には共通イメージを感じますね。

これは、人生の幸福度にも通じるように考えています。

バウンダリー(自他境界線)というものが人間にはあります。人間間での争いは、これを脅かすことから起きることが多いですね。

自他境界線を適切に守るコトができると、良好な人間関係がもてるようになります。

突き詰めて表現すると、「適切な関わり」というコトではないでしょうか?

「人と人」や「人と金」、「人とモノ」、それぞれに対する愛情や執着心が「良い加減」にできるかに掛かっているように考えています。

これは、気がついた時に、自他境界線の微修正をしていく必要もありますね。

あなたにとって、「本当の豊かさ」とは何を意味するのでしょうか?

メディテーションタイムを大切に

人間には、社会の中で様々な役割があります。

一人でいる時間も、誰かと一緒にいることや共同作業すること、会話をすることも必要ですね。

一番大切なのは、一人で寝る睡眠時間で、身体のコンディションを整えるために必要不可欠です。

この次にあげる優先順位は、人によって違うでしょうね。

人間は、アウトプット優位な時間、インプット優位な時間、そして、ニュートラルでいる時間が必要だと認識しています。

睡眠サイクルで個人差が大きいでしょうけれど、朝にアウトプット、その後にインプットという流れが効率が良いと言われています。

でも、大切なのは、睡眠前か、朝目覚めた後に、「メディテーションタイム(瞑想時間)」を持つと、マインドバランスがとれるのですね。

また、信仰者の場合、祈りの時間を持つ人がいますが、感謝の他、お願い事が多い人がいますね。大切なコトは、「神の前に静まる時間」ですから、黙想の時間も大切に考えると良いように思います。

このためには、インプットやアウトプットから離れて、一人になれる時間や場所を確保できるとより充実した人生が開けてくるコトでしょうね。

いのちの泉 箴言10:11

『神に従う人の口は命の源 神に逆らう者の口は不法を隠す。(箴言10:11新共同訳)』

人の口は、色々な役割があります。栄養分や水分を摂取することや、生きて行くために必要な酸素を取り込んだりします。

口から出るのは、「ため息か? 言葉」です。両方共に、心から出てくるものですね。

理性的に意識しながら、言葉を選んで発言しようとしていても、ついつい心の本音が口をついて出てしまうコトがあります。

口では相手を持ち上げているつもりでも、いつも思っている相手の評価が伝わりますから、その点でもナカナカ取り繕えないですね。

「自慢か軽蔑しかしない人」と「辛辣でも本音しかない人」では、信用度が異なりますね。

人に奢るなど、羽振りよく見せようとしても、自慢か軽蔑しかしない人であれば、簡単にその正体を見破られます。

辛辣でも本音しかない人は、きついと感じても、嘘が無ければ愛を感じられるようになりますね。

「永遠の命に至る水(ヨハネ4:14)」を心にキープして、口から愛の水を言葉と共に出していきたいですね。

奴隷の心を忘れる モンテーニュ

『どこで死が待ちかまえているのか、定かでないのだから、こちらが、いたるところで待ち受けよう。死についてあらかじめ考えることは、自由について考えることにほかならない。死に方を学んだ人間は、奴隷の心を忘れることができた人間なのだ。 モンテーニュ

「初めての道のりは長く感じる」という経験をした人も多いと思います。

何回も行くようになると、だんだん最初ほど時間が気にならなくなるものですね。

このフレーズからは、人生の旅路でゴールを意識しておくほうが得策だとのメッセージが、私には伝わって来ました。

確かに、自分が次の瞬間いのちを落とすなどとは考えていませんが、その時は、突然に訪れるものなのでしょうね。

知人などの急逝の報を聞くと、自分はあとどれくらい生きるのだろうと考えることもあります。

どうなるかわからない不確定要素があるからこそ、肉体的生命の終わりを意識しつつ、その地点からの視線でイメージする必要があると言うことなのですね。

肉体的死は、不安を感じる人が多く、恐怖感もあるので、考えたくないという人がいるのは事実です。「死の恐れ(ヘブル2:15)」という記述が聖書の中にもあります。

でも、誰にでも訪れるのですから、考えておくのも大切ですよね。

この恐れからの解放をイメージすれば「自由について考える」というフレーズがスムーズにつながります。

信仰者にとって、肉体的死は、肉体から解放され、永遠の生命に自由に生きる、次のステップになるのですから、恐れと言うよりは、解放される喜びの瞬間というイメージも併せ持つのですね。

パイの奪い合いから距離をとる

世の中、過当競争で、門外漢のわたしが心配になっているコトがあります。

コンビニエンスストアやドラッグストアなどが店舗を増やすことにしのぎを削っている状況も一つです。

市場規模というのを「パイ」に例えて表現しますね。

円グラフで、主要企業のシェアを表して、ピザを切るように書いてあるモノです。

各業界の市場規模は、成長する余地はありますが、縮小するコトもあるのが現実で、同じ市場を分け合う限りは、2位と3位が統合して、1位を超えるか?肉薄するなどという話もありますね。

まさに、奪い合いのサバイバルゲームですね。そこには、共存共栄の平和的な構図は見当たりません。

一方、相当な企業努力だとは思いますが、独自路線で、自社の規模を決めて独立独歩に運営しているところには、それほどの影響も無いようにも感じます。近年は、極少数派のように感じます。

「ナンバーワンではなくて、オンリーワンを目指した」成果なのかも知れません。投資家も経営者も従業員も顧客も満足できるのならば、独自路線で大丈夫なはずです。

ナンバーワンを目指す企業群の中で、「もっともっと」「もう少し、もう少し」と考えてしまうのは誰なのでしょうね。

今は、経済が右肩上がりの時代ではないですから、方向性も検討が必要ではないでしょうか?

奴隷からの解放が意味するモノ 出エジプト12:37-42

『 ◆エジプトの国を去る
イスラエルの人々はラメセスからスコトに向けて出発した。一行は、妻子を別にして、壮年男子だけでおよそ六十万人であった。そのほか、種々雑多な人々もこれに加わった。羊、牛など、家畜もおびただしい数であった。彼らはエジプトから持ち出した練り粉で、酵母を入れないパン菓子を焼いた。練り粉には酵母が入っていなかった。彼らがエジプトから追放されたとき、ぐずぐずしていることはできなかったし、道中の食糧を用意するいとまもなかったからである。イスラエルの人々が、エジプトに住んでいた期間は四百三十年であった。四百三十年を経たちょうどその日に、主の部隊は全軍、エジプトの国を出発した。その夜、主は、彼らをエジプトの国から導き出すために寝ずの番をされた。それゆえ、イスラエルの人々は代々にわたって、この夜、主のために寝ずの番をするのである。(新共同訳)』

そもそも、イスラエルの民は、ヨセフがエジプトに売られた後、イスラエルでの飢饉があって、ヨセフの兄たちが、図らずもファラオに次ぐ地位にあったヨセフの所へ食料を求めて来たことから、エジプトへの移住をすることになりました。この時のファラオはセム系だったので、イスラエルの民に好意的だったと伝えられています。

しかし、その後、クーデターでファラオが変わり、ヨセフという名宰相という名前も消し去られてしまったのかも知れません。気がつけば、イスラエルの民は、奴隷生活を送ることになっていました。飢饉の故郷から、食料のある安住の地に来たと思っていたのに、奴隷生活を送ることになるとは想定外です。。

「こんなはずじゃなかった」と考える暇も無く、奴隷として苦役に追われる日々だったことでしょう。エジプトに移住して430年後にエジプトを脱出することになるとは、どれ程の人が想像していたでしょうか?

創造主である神は、イスラエルの祖として、アブラハムカルデアのウルから召し出して、子孫繁栄と約束の地を与えることなどの契約をしました。これは、今も有効なのです。出エジプトの時にも、これに基づいて、リーダーとするモーセを女王の養子にし、エジプトの教育を受けさせ、荒野での羊飼い生活でトレーニングをして備えていたのです。

奴隷からの救出というのは、戦術が大切です。最高権力を持つファラオが参ったと言わなければ、作戦は成功しません。

創造主である神は、人間が罪の奴隷状態にあることを明確に示すために、自分が選んだ民をその境遇に置き、全人類の救出のために、出エジプトを成されたと考えています。「その夜、主は、彼らをエジプトの国から導き出すために寝ずの番をされた」とは、「主は民と共にいた」というコトになります。

エジプトの奴隷生活から解放されたイスラエルの民が、今後、どのような心理状態になるのかを見ていくと、文明が変化をして多少便利になったとしても、本質的に人間は変わっていない現実を発見することになりますよ。

動画 アザラシママの子育て


Mama Seal Protects Newborn from Seagulls during First Swim || ViralHog

子どもの自立期に、親が接する難しさは、人間もアザラシも共感できる要素があるようです。

この動画は、そろそろ泳ぎをマスターして欲しい時期のようです。

波を目の前に、固まって見える子と心配そうに寄り添うアザラシママを見ていると応援したくなりますね。

ある程度の保護が期待できる人間社会と違って、虎視眈々と狙う天敵がいる自然界ですから、アザラシママの心配も人一倍ですね。

その厳しい環境の中で、サバイバルしていくためにも、一日でも早く、良い波を見つけて、スイスイと乗り切って行く必要があるのですね。

動物が自然界で生きていくための知恵に、遙かに及びそうに無い人間の現状を何と表現したらよいのか、言葉が見つかりません。