永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

好きな道、得手の道 坂本竜馬

『人間というものはいかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。 坂本竜馬

坂本竜馬が何を成し遂げたかったのか?

当人は、お亡くなりになっていますから、時代が違う私には、理解できていません。時代の移り変わりの中で大波にのみ込まれてしまった印象を強く持ちます。

でも、このフレーズは、取り上げてみたくなりました。

彼なりに、好きな道に生きたようなイメージはあります。当時とすれば、ハイカラな洋風ファッションを採り入れていたようですからね。

得手の道は、彼のコミュニケーション能力の高さを感じる部分でしょうか?

彼が、本当に取り組んでいたことは「?」ですが、多くの人たちと革新的な取り組みについてディスカッションをしていたイメージがありますから、これにも体験が伴っていたのだと感じます。

また、坂本竜馬については「好奇心の塊」のようなイメージもありますね。

きっと、その当時の日本人には無い視点で、アクションを起こしていたのだと思っています。

坂本竜馬が生き続けていたなら、歴史がどう変わっていたのか? 非常に興味があるところです。

せめて、「デロリアン号」があれば探れる可能性がありますけれどね。

しかし、残念ながら、私の手元にはありませんorz

生きている? 息をしているだけ?

セールスのクロージングで使われていたフレーズです。

『あなたは生きていますか? 息をしているだけですか?』

確かに、思考停止状態であれば、「息をしているだけ?」と言われても反論のしようがありません。

あるいは、思考が堂々巡りしていて、身動きがとれないで、同じ場所にいるということもあるでしょう。

生きているのなら、「行動し続けて当然」なんてことはないはずです。

生きていることを体感できるコトって、一体、何なのでしょう?

リストカット経験者に教えてもらった話です。

その人の場合、リストカットは、自死するためのモノではなく、手首を浅く切ると赤い血が出てくるので、それを見て生きていると実感していたのだそうです。

自傷行為は、様々な感情が入り交じって、はじまるようですが、その中に、生きていることの確認が入るとはとビックリしたことがあります。

生きている実感は、五感で感じるという部分もありますね。

「自分が浸っているコトが夢かも知れないからつねってみてくれ」と言って、つねって痛ければ、現実だというコトを確認できますね。

痛いの他に、くすぐったいなどの刺激もあります。

最近、得たいの知れない感染症などの影響もあり、身動きがとれないでいる人も多くいることでしょう。

せめて、「息をしている」コトだけでも確認して、アクティブに活動できる時に備えたいですね。

「生きている」とは? 私にとっては、まだまだ、「謎」が多いです。

従うこと侮辱すること 箴言10:8

『知恵ある心は戒めを受け入れ 無知な唇は滅びに落とされる。(箴言10:8新共同訳)』

「戒め」と聞くと背筋がピッと伸びる思いがします。

「懲戒」や「訓戒」と聞くとビクッとしたり、ドキッとします。

戒められるというのは、ナカナカ素直に受け入れられるモノではないですね。

でも、人生の中で必要な要素は、自分に戒めを適用して、より良い習慣を手に入れるコトでもありますから、そのような機会に恵まれたら、素直に受け取りたいですね。

ただし、この素直さは、従順と盲従とに大別されます。従順は、適切に相手の話を聞き内容を理解取捨選択して従うコトです。また、盲従とは、全部を鵜呑みにして、言われた通りだけ従うコトです。

大切な要素は、相手の心と自分の心の交わりをし、互いを理解し、愛と尊敬を持つコトこそ、適切な人間としての従順の特徴です。自分だけOKでも、相手だけOK でもなく、お互いにOKな位置を探る必要があるのです。

神100%人100%である御子イエス・キリストは特別です。罪の奴隷状態にいる人間一人一人に寄り添い、全人類のために身代わりになると言う人間にはできない謙遜を発揮されたのです。

人100%である私の場合、大人が子どもに接するように、子どもの目線やマインドに合わせて理解するように、相手の位置に合わせて理解することを心がけたいものです。

この姿勢を大切にすれば、副産物も得られますね。

経験豊富な、自分の考え方や技術を教えたいと考えている人に可愛がられれば、他の人よりも貴重な情報を教えてもらえたりします。変なプライドや偏見は、それらの妨げでしかありません。

まして、悪口の類いは、人間関係を悪くし、関係を悪くするのみです。

自分にとって、必要な戒めを理解し、受け取れる適切な従順を養いたいです。

過去を生かせるように カール・ヤスパース

『我々は過去をそのままにしよう、目を後ろに向けないで前に向けよう、などと言ってはなりません。前向きのチャンスは、過去を如何に貫徹し、摂取し、克服するかの程度にのみ掛かっているのです。 カール・ヤスパース

「自国の政府により殺される寸前、敵国の軍隊により命を救われた」と、ドイツ在住だったユダヤカール・ヤスパース自身がナチスドイツ軍にいのちを狙われていた所をアメリカ軍によって助けられたと語っています。

ナチスの強制収容を自宅に立てこもることで九死に一生を得た数奇な人生を経験したカール・ヤスパースの含蓄のある言葉ですね。

過去には、経験や体験を通じた宝物が埋まっていると考えれば、過去を客観的に観察して、そのエキスを今後に活かすことができますね。

多くの場合、黒歴史を抱えていて、それらは、自分の記憶から消し去りたい願望を持ちます。

でも、もしそれを自ら覗いてみるエネルギーがあるのならば、宝物がザクザク見つかる可能性があります。

フラッシュバックが出て、過呼吸になる状態では、オススメできません。その場合は、自己受容をメインにセルフケアなさった方が良い時期ですからね。

閉山になった金山にも、まだ、金は埋蔵されているでしょうから、採算度外視で自分の過去という宝の山を冒険できると、何かを発見できますね。

メンバーシップ制度よりも大切なコト

「絆」という理解に、窮屈さを感じる人もいます。重要なコトではありますが…。

学校や会社などの社会の共同体に属しているだけで安心感を感じる人もいます。

でも、本当のところ、人が求めているのは、何なのでしょうね?

人間は、言語を使いますが、正しく習得して、正しく使えている人がどれくらいいるのでしょうか?

自分の気持ちを伝えたいのに、半分も伝えられていないような気になって、もどかしさを覚えている人も数多くいることでしょうね。

筆者は、人としての究極の快感は、良好なコミュニケーションにあると考えています。これは、言語コミュニケーションも含めて、マインドとして、ある程度の理解を共有できたという意味です。

共有という点では、結構ハードルが上がります。互いに、共通認識ができていないと実現が遠のくからです。

学校でも会社でも家庭でも、メンバーに名を連ねていれば、それだけで恩恵が受けられるという部分と、それぞれに期待される建設的な行動も求められるでしょうね。

期待が、義務や強制に感じられると、意地でもやりたくないと考える人や、より緩い繋がりを求める人も出てきます。これが、メンバーシップ制度の難しさでもあります。

それよりも、共通の趣味や嗜好を持つ緩やかなサークル活動の方が、好きでやっているという共通項で、することの分担を決めやすかったりします。例えば、料理愛好会だったら、食材を買い出しに行く人、会場の準備をする人、料理をする人、味見をする人、残さずに食べる人、後片付けをする人などですね。

これが、うまく機能すると、そのサークルは継続できるでしょう。そこに、本質的な絆があるのだと考えられますからね。

学校でも会社でも、過程においても、それぞれの役割を適切に担えるとしたら、うまく機能するはずです。

各自の適切でバランスがとれた自発的行動が、積み重なってこそ、メンバーシップ制度は、活きてくるのだと考えています。

これを引き出すのがリーダーシップでしょうね。

聖別された初子(長子) 出エジプト13:1-16

『 ◆初子の奉献
主はモーセに仰せになった。「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。」
◆初子について
主があなたと先祖に誓われたとおり、カナン人の土地にあなたを導き入れ、それをあなたに与えられるとき、初めに胎を開くものはすべて、主にささげなければならない。あなたの家畜の初子のうち、雄はすべて主のものである。ただし、ろばの初子の場合はすべて、小羊をもって贖わねばならない。もし、贖わない場合は、その首を折らねばならない。あなたの初子のうち、男の子の場合はすべて、贖わねばならない。将来、あなたの子供が、『これにはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『主は、力強い御手をもって我々を奴隷の家、エジプトから導き出された。ファラオがかたくなで、我々を去らせなかったため、主はエジプトの国中の初子を、人の初子から家畜の初子まで、ことごとく撃たれた。それゆえわたしは、初めに胎を開く雄をすべて主に犠牲としてささげ、また、自分の息子のうち初子は、必ず贖うのである。』あなたはこの言葉を腕に付けてしるしとし、額に付けて覚えとしなさい。主が力強い御手をもって、我々をエジプトから導き出されたからである。」 (出エジプト13:1-2,11-16新共同訳)』

「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。」と記してあるので、ドキッとします。

イスラエルの民がカナン定住をした時に、どうするかを11節から記してあります。家畜のオスの初子は、主のものと記され、ロバの場合は小羊を犠牲にするか、捧げるのでは無く首を折ると記されています。

今の時代でも、人身御供をしている人たちがいるようです。中東地域でも、バアルやモレクなどを崇拝する人たちは、自分たちの赤ちゃんを犠牲にしていました。その人たちは、悪魔崇拝者と言われています。

明らかに、創造主である神はこれを求めていません。

ロバには犠牲の羊が用意され、人間の男子の初子は銀5シェケルを対価として、創造主である神から買い戻すという形式になりました。一説によると、銀5シェケルは、ダリク金貨(約8.4g)の20分の1とのことですから、今の相場で計算してみると約3000円ということになりますが、当時の生活に占める負担がどれ程であったかはわかりません。

出エジプトの時から、初子の規定がスタートすることになったのですね。

初子が双子の男子だった場合は、それぞれが銀5シェケル必要だったそうです。初子が女子の場合は、銀5シェケルは必要なかったようですね。創造主である神の定めによるもので、理由はわかりません。

この規定は、イスラエルの民に適用されるものです。イスラエルの民ではないクリスチャンには適用されません。

動画 ポメラニアンのちゃぶ台返し


Pomeranian Doesn't Approve of Diet || ViralHog

飼い主のイタズラでしょうね。

きっと、ペットのポメラニアンにとっては「飼い主の悪意」と受け取っての怒りなのかも知れませんね。

この動画は、その瞬間を見逃さないように集中してご覧ください。

いつものように、飼い主さんは、お食事の準備をして、ポメラニアンに提供しますが、その量がいつもよりも遙かに少ない「2粒」、これには、ポメラニアンも我慢ができなかったようです。

ちゃぶ台返しをする人ってこんな感じなのかなあ?

金属製の皿の音も効果音になって、迫力を感じますね。

また、あのかわいいポメラニアンにも、怒りの表情って出るのですね。

人間の原語が発語できなくても、ペットには感情的なコミュニケーションはできるようにも感じます。

これも、ある意味「エモい」一面ですね。