永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

自分ファーストは大切な要素 自分だけではNG

『隗より始めよ. 【読み方】 かいよりはじめよ』
【意 味】
① 大事を始める時には、まず手近なことから始めるとよいということ
② 何事もまず言い出した人から実行しなさいということ
【由 来】
燕(えん)の国の昭王(しょうおう)が人材を自分の所に集めようとして郭隗(かくかい)と言う人にたずねたところ、「この郭隗(かくかい)を大切に優遇(ゆうぐう)しなさい。そうすれば、やがて、普通の私でさえ、これだけ大切にされるのだから、私以上のすぐれた知恵の持ち主はもっと大切にされるだろうと考えて、優れた人物が他国からやっくるでしょう。」と言った。その通り、燕(えん)にはすぐれた人物が続々と集まってきたことからこの語ができた。(戦国策)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~gakusyuu/koziseigo/kaiyori.htm
知識の泉より

時には、自分のことは後回しにして、人を助けることも必要なコトがあります。

しかし、基本は、自分のことをフォローできてから、他人の手助けをするというスタンスが大切ですね。

これを思い浮かべていたら、「隗より始めよ」が頭をよぎりました。意味を調べてみると、手近なことを言い出した人が自発的に取り組むという意味を確認しました。

また、人生は、他人との関わりが非常に多く、自分だけOKでも関係は成立しません。

言い換えれば、自分との健全な関わりができる人は、他人との関わりもうまくいくのではないか?とも考えられますね。

自分ファーストとは、自分勝手なことではなく、自発的に自分を大切にするという深い意味合いがあるように考えています。

健全に愛する事って難しいと思いませんか?

全知の神 「すべてお見通し」

『胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。(詩篇139:16新共同訳)』
『更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。(ヘブル4:13新共同訳)』

創造主である神は、人間が形容できない領域まで、さまざまな能力を有しておられます。

その一つが、「全知」という性質です。

人間は、受精から十月十日母の胎内にて育まれ産み出されます。

周囲の人は、生まれてから、はじめてその人を見るのです。

しかし、全知の神は、その瞬間から目にとめられ、すべてを記録していると記されています。

近年は、ワンちゃんやネコちゃんも、おしゃれな衣装を着るような時代になりました。

人間は、エデンの園で、失楽園を味わってから、ずっと、服で身体を覆うスタイルをとるようになりました。

それでも、全知の神は、すべてをご存じなのだそうです。

全部知られているのに、人間は、あれこれと言葉を並べ立てて、ごまかそうとしてしまうのですね。

でも、それは、ウソをウソで上塗りするような事にしかならないのでやめておいたほうが賢明ですね。

絶対に離しませんよー

youtu.be

見ていると愛しくなって、思わず、微笑んでしまう動画です。

ネコちゃんは、大事な対象にしっかりとつかまって居たいという感じが伝わってくるようです。

ネコちゃんは、飼い主にベッタリという印象が強いですね。

甘え上手なのでしょうか? でも、それが、飼い主にとっても癒やしになるようですから、一挙両得なのでしょうね。

でも、どうしても離れなくてはいけない時に、引きはがすと引っかかれることもありそうですからご用心ですね。

人生のキーマンは橋渡しをしてくれた人

世の中には、様々な人がいて、人付き合いの巾が広い人もいれば、親しく感じている人なんて一人もいないと言う人もいますね。

人との関わりは、それぞれに認識の差があって、片方が親友だと思っていても、毛片方の認識はただの知り合い程度だったりします。

人との付き合い方には、適正な距離感が必要で、それがキープできないと関係が壊れることもあります。

ビジネスでは、仲介して手数料を取るスタイルもあり、一方、紹介だけで、手数料は入らないという哲学を持った人もいます。

それぞれのスタイルがあって世の中は成り立っているのだと理解しています。

しかし、人生をふり返ってみると、利害関係を超えて、親身に話を聴いてくれたり、適切な紹介をしてくれたりしてくれた人が居てくれたからこそ、今日があるのですね。

ちょっと後押しをしてくれた人であったり、決断の前に安心感を持たしてくれたり、そのような場面で、良き隣人が備えられていたという経験は、一つや二つではないですね。

自分も、そのように、本当に役に立てていたなら嬉しいですね。

利益も大切ですが、利害を超えた関わりも大切にしていきたいですね。

鳥は飛ばねば… 人は生きねば… 坂村真民

『「鳥は飛ばねばならぬ」

鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ

怒涛の海を
飛びゆく鳥のように
混沌の世を
生きねばならぬ

鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを
知っている

そのように人も
一寸先は
闇ではなく
光であることを
知らねばならぬ

新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ

坂村真民

 

記念館のご案内 | 坂村真民記念館 公式サイト

多くの人に、影響を与えている詩だそうです。

生を与えられたものに対する覚悟を認めているように感じます。

『空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。(マタイ6:26新改訳2017)』

聖書には、このような言葉も収められています。その鳥にならって、人は人としてどう生きるのか?を探っていくのが、それぞれの人生の宿題なのかも知れませんね。

空間は人をいじめる 山下ひでこ

断捨離の提唱者である山下ひでこさんは、「空間が人をいじめることがある」とお話になっていました。

片付けができなくなって、助けを求める拠り所として活躍されています。

片付けられないというと、だらしない人と思いがちですが、実際には、もともと片付けが苦手という人もいるものの、以前は整理整頓がキレイにできる人だったという人も多く見えるらしいのです。

生活の変化や環境の変化でのストレスなどの影響で、片付けができなくなる人も多数いらっしゃるようです。

必要不可欠ではないモノに囲まれると、空間がゆとりを失います。そのような環境では、同じ時間寝ていても、気が休まらないという意味のようです。

ゆとりのある空間を得るには、過去を見つめながら、今ココに必要なモノを選び出す作業が必要なようですね。

これは、物質に限らず、生きものの生活共有空間にも通じるモノがあるようにも感じます。

自分が、くつろげる空間を整えられるように、習慣づけをしたいですね。

体罰=暴力というよりも大切なコト

戸塚ヨットスクールが世間から批判を浴びる時代がありました。それでも、ニーズがあるようで、方法を工夫しながら、現在も活動されているようです。

今は、引きこもりを強引に引き釣り出す人達が批判の対象になったりしています。

最初に、筆者のスタンスをハッキリさせます。私は、できるだけ暴力を使いたくありません。正当防衛としては使います。静止をしたりする時には、ボディータッチをすることがあります。必要に応じて、保護のため相手を拘束するケースもあります。基本的に、ケガをさせない、ケガをしないポイントを探ります。

さて、対象者がどういう状態であるか? 「引きこもりで、一切出てこないとか」、「家庭内暴力をする」とか「多動で徘徊をする」など様々なケースがありますよね。

また、どういうタイプか? 「問いかけに対して無反応」「一方的にブツブツいったり、罵声を口にしたりする」とか「孤立しているのか、社会的接点があるのか」など、タイプに対する配慮も大切なのだと考えています。でも、ケースバイケースですね。

最も大切なのは、規律をどう伝えるかだと考えます。

世の中の常識と言われるモノは、ローカルルールですので、世界中どこでも通用するマニュアルは存在しません。

ただ、互いに自他境界線を守るための規律を理解していれば、相手に対する配慮にも気配りができるようになるのかも知れません。

あるいは、引きこもりの要因として、相手に対して、気を遣いすぎたとか、コミュニケーションがうまくいかなくて、避難したという人も多くいるので、そのところへの配慮は非常に大切だとも考えています。

暴力は、人間の防衛本能に働きかけ、立ち向かうという領域を呼び覚ます要素は否定しませんが、その対象は多くないようにも感じています。

砂浜で、貝を獲る時のように、ほじくり出すよりも、塩で誘い出すというような方法が功を奏することもありますね。

私は、引きこもる当事者よりも、接する方との対話をすることが、サポートになるのだと考えています。