永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

自己受容がまず一歩目

はじめの一歩が大切ですね。

それは、まず、今の自分を信じて、自分で受け入れることですね。

それが、理想の自分でなかったとしても、もう一人の自分をも含めて受け入れることなのですね。

これがナカナカ難しいと感じる人が多いのですが、自己一致ともいいますね。

さらに、信仰の適用です。

人は皆、次の記述のように宴会に招かれているのです。

ただし、その宴会に出るためには、備え付けられた「婚礼の礼服」を着る必要があるのですね。

自己一致の次は、信仰の選択で、用意された「婚礼の礼服」を着るか着ないかなのですね。

意地を張って、「婚礼の礼服」を着ないと、退席をしなければなりません。

何れにしても、自由意志で選択できるのですね。

『イエスは彼らに対し、再びたとえをもって話された。
「天の御国は、自分の息子のために、結婚の披露宴を催した王にたとえることができます。
王は披露宴に招待した客を呼びにしもべたちを遣わしたが、彼らは来ようとしなかった。
それで再び、次のように言って別のしもべたちを遣わした。『招待した客にこう言いなさい。「私は食事を用意しました。私の雄牛や肥えた家畜を屠り、何もかも整いました。どうぞ披露宴においでください」と。』ところが彼らは気にもかけず、ある者は自分の畑に、別の者は自分の商売に出て行き、残りの者たちは、王のしもべたちを捕まえて侮辱し、殺してしまった。王は怒って軍隊を送り、その人殺しどもを滅ぼして、彼らの町を焼き払った。それから王はしもべたちに言った。『披露宴の用意はできているが、招待した人たちはふさわしくなかった。だから大通りに行って、出会った人をみな披露宴に招きなさい。』しもべたちは通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った人をみな集めたので、披露宴は客でいっぱいになった。王が客たちを見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない人が一人いた。王はその人に言った。『友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入って来たのか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王は召使いたちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。この男はそこで泣いて歯ぎしりすることになる。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。」マタイ22:1-14新改訳2017』

 

「父と母を敬え」VS「自分の子どもたちを怒らせてはいけません」

『「あなたの父と母を敬え。」これは約束を伴う第一の戒めです。…父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい。(エペソ6:2,4新改訳聖書2017)』

親に対しても、子に対しても示されていることです。

親子は、距離感のとり方が適正でないと、大きなトラブルのタネになりますから注意が必要ですね。

保護者としての役割と、一つの人格同士の対等で良好な関わりをしていくために配慮が必要になりますね。

保護者の役割への使命感が強すぎたり、子への絶対服従が強いられるような強権が発動されると関わりが悪くなってしまいますからね。

命の危険が伴うこと、違法性があること、依存性が高いことなどで、子に理解を促す役割は大切ですね。

なにもかもダメでは、子は自由を求めて家出したくなったりもしますからね。

適度にぶつかり合い、喜怒哀楽を分かち合えるような関係であれば幸福感も増すことでしょうね。

天の御国が激しく攻められる

バプテスマのヨハネの日から今に至るまで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。(マタイ11:12新改訳聖書2017)』

バプテスマのヨハネは、旧契約時代の最後の預言者であり、ほどなく十字架に架けられるメシアであるイエス・キリストの先駆者の役割を任されていました。

バプテスマのヨハネの活動が始まってから、天の御国の進展を妨害する人々が続々と出てきました。

パリサイ人やサドカイ派の人たちもその一部でした。

旧約聖書が預言していたメシアと、メシア的王国を拒否したのです。

その真相は、パリサイ人の傲慢であり、バプテスマのヨハネイエス・キリストを自分たちの都合でコントロールしようとしたのですが、うまく行かなかったのです。

旧契約が終了すると、自分たちの立場や生活の糧を失うという恐怖感を持った勢力の抵抗という理解がわかりやすいかも知れません。

今日でも、類似の話はあり、自分立場や生活の糧を失う恐怖感を強く感じている体制派勢力はあるのでしょうね。

地上の権力を手放すときは、やがて来るので、潔く明け渡したほうが良いのでしょうけどね。

これができていれば、苦境に立つこともないかも知れません。

人が永遠に幸福でいられる秘訣は、創造主である神にギブアップすることですね。

あこがれの選手からサプライズプレゼント

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「オオタニサーン」と呼ばれ親しまれている大谷翔平選手のチームメイトのファンサービスを収めたチームのインスタグラム動画です。

普段は、テレビや球場でも、遠くから応援しているあこがれの選手とベンチで会える機会を得た少年は、あこがれの選手と出会えたことで感激をしてしまいます。

さらに、握手をし、用意していたボールにサインをもらい、記念撮影もしてもらいました。

その選手が手招きをするので、ついて行くと、なんとなんと、バットのプレゼントまでサプライズプレゼントしてくれたのです。

少年は「オーマイゴッシュ!」と叫んだのでした。

背番号27番のTrout選手には、当たり前のファンサービスだったかも知れませんが、この少年には生涯忘れられない思い出になったことでしょうね。

この動画を見ている筆者も温かい気持ちが伝わってきました。

ニーズにマッチした心に届く何かをデリバリーできたら幸せですね。

平和を祈り、受け入れられなければ

『その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。(マタイ10:12-13新共同訳)』

翻訳によって、「平安」と訳すか「平和」と訳すか言葉の差がありますが、ココでは、「平和」と記されています。

「平和」を歓迎するかどうかの差が大きいのですね。

まるで「平和」が落ち着き先を探しているようですね。

穏やかな環境は「平和」そのものです。

騒がしくせわしない環境は「平和」を好まない傾向も潜んでいるかも知れませんね。

表面上、静まっていても、威圧的な空間には「平和」が入り込む余地がない可能性もありますね。

とにかく、「平和」を祈ってみることですね。

「平和」を祈る人には「平和」が宿っているのですから、「平和」を配達してもなくなることはないのですからね。

公平な約束でも不平等を感じる

『天の御国は、自分のぶどう園で働く者を雇うために朝早く出かけた、家の主人のようなものです。彼は労働者たちと一日一デナリの約束をすると、彼らをぶどう園に送った。彼はまた、九時ごろ出て行き、別の人たちが市場で何もしないで立っているのを見た。そこで、その人たちに言った。『あなたがたもぶどう園に行きなさい。相当の賃金を払うから。』彼らは出かけて行った。主人はまた十二時ごろと三時ごろにも出て行って同じようにした。また、五時ごろ出て行き、別の人たちが立っているのを見つけた。そこで、彼らに言った。『なぜ一日中何もしないでここに立っているのですか。』彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』主人は言った。『あなたがたもぶどう園に行きなさい。』夕方になったので、ぶどう園の主人は監督に言った。『労働者たちを呼んで、最後に来た者たちから始めて、最初に来た者たちにまで賃金を払ってやりなさい。』そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつ受け取った。最初の者たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らが受け取ったのも一デナリずつであった。彼らはそれを受け取ると、主人に不満をもらした。『最後に来たこの者たちが働いたのは、一時間だけです。それなのにあなたは、一日の労苦と焼けるような暑さを辛抱した私たちと、同じように扱いました。』しかし、主人はその一人に答えた。『友よ、私はあなたに不当なことはしていません。あなたは私と、一デナリで同意したではありませんか。あなたの分を取って帰りなさい。私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。』このように、後の者が先になり、先の者が後になります。」(マタイ20:1-16新改訳聖書2017)』

雇用形態が社会的なテーマにもなっていますね。

ここで、記されているのは、「日当1デナリ」の受け止め方です。

雇用主は、朝から雇う人にも、9時12時3時5時にスカウトした人にも、「日当1デナリ」を約束しました。

実働は、朝8時から夕方6時だと仮定してみても、10時間働いた人と、1時間働いた人は「時間給〇〇」だと差がつくわけですが、「日当1デナリ」ならば公平です。

このような気持ちにならないためにも、納得した労使協定をする必要があるのですね。

しかし、人の気持ちは収まりません。自分のほうが実働が多いから、もっと沢山もらわないと割に合わないという思いでしょう。

ここでのテーマは、天国です。早くに天国のキップを入手した人も、締切間近で手に入れた人も、同じ権利を行使できるというものです。
ですから、気になる方は、お早めに入手された方がよろしいのではないでしょうか?締切がいつ来るかわかりませんのでね。

メジャーな存在にはアンチが付きもの

第二次大戦の敗戦で、日本から軍という呼び名が消えました。

その中で、唯一と言っていいかも知れない軍があります。

それは、プロ野球東京読売巨人軍ジャイアンツ)」ですね。

以前は、圧倒的に巨人ファンが多い印象がありましたが、最近では、各球団の広報努力で、プロ野球界全体で盛り上がるようになってきているようなイメージがあります。

メジャーなものの例えに「巨人・大鵬・卵焼き」と言われた時代もあったようですね。野球は巨人、相撲は大鵬、食べ物は卵焼きということですね。

王・長嶋以来の筋金入りの巨人ファンの方も多くいらっしゃるでしょうが、巨人だけは大嫌いだというアンチ巨人ファンも結構いるようですね。

ファンというのは、アンチも含めてカウントすると、注目度は大きいのですね。

注目度は、物事を好きでも嫌いでも注目される数をカウントするのですね。

信仰の世界に置き換えて考えてみます。ローマ帝国時代に、キリスト教は国教化されました。その影響は絶大で、世界中にキリスト教が広まるきっかけになりました。

でも、本当に心から信仰していた人は、それほど多くないのかも知れないのではないかという思いがします。

現に、国教会がある国も存在しますが、国民の全員が同じ宗教なんて現実的にはないですからね。

また、それは人間に自由意志が与えられている証左でもありますから、良い傾向なのでしょうね。

真の信仰者が表立って弾圧される時代がやがて来るとされていますが、自由意志を最大限行為して、信仰を貫ける人がどれくらいの比率でいるのかはミステリーですね。

『狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。(マタイ7:13-14新改訳聖書2017)』

今から、さらに、「ニセキリスト」や「アンチキリスト(反キリスト)」が増えるでしょうね。