永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

おそろしい情熱…恋 スタンダール

『恋というものは何とおそろしい情熱だろうか。それなのに、世間の嘘つきどもは、恋をあたかも幸福の源泉のように言っている。 スタンダールパルムの僧院』(岩波書店)』

このフレーズを見たときに、思いついたのは、「いのち短し 恋せよ乙女」です。これは、1915年に発表された「ゴンドラの唄」の冒頭に出てくる歌詞です。

『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱し、大正時代に流行したとされています。

これは、さまざまなシーンで使われ、受け取り方も色々な反応があると推察します。

スタンダールのフレーズは、少々、過激だと感じる部分がありますが、「常軌を逸するとそのようになってしまう」という警告のようなニュアンスを感じます。

「恋をあたかも幸福の源泉のよう」というのは、偏っているのではないかとスタンダールは指摘しています。

つまり、「そればっかりでは無いでしょう」という突っ込みのようにも感じられます。

「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とばかりに、血気盛んにハンターと化した恋に取り憑かれた人が抱える情熱は、周囲の人が近づきがたいものでしょう。

そして、ターゲットにされた人も受け止め方を間違えれば、やけど程度ではおさまらない可能性も考えられます。

何とかして、その恋が良い形で実るように、周囲は見守るしか無いでしょう。

しかし、現実は、そんなに容易くない。

周囲は、「ドンマイ」と言うくらいの感覚で煽っても、「当事者は、焦りを伴って益々ヒートアップする」なんてループができてしまうこともあります。

恋愛の成就を見ないと、心は冷静さを失うこともあります。

恋に疲れたら、時には、一休みして、英気を養うゆとりを持てると良いですね。

良い出会いがありますように。

 

「ゴンドラの唄」(ゴンドラのうた)は、1915年(大正4年)に発表された歌謡曲。作詞は吉井勇、作曲は中山晋平である。
芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱、大正時代の日本で流行した。
楽曲
「カチューシャの唄」を手がけた中山晋平により作曲され、同曲同様に大衆の支持を得た。中山によれば、母の死の直後、悲しみに暮れる帰りの汽車の中で「『ゴンドラの唄』の歌詞が語りかけて」きて、「汽車の揺れとともに、自然と旋律がわいてきた」[1]のだという。
歌詞はアンデルセンの『即興詩人』(森鷗外訳)の一節を基にしている[2]。

ゴンドラの唄 - Wikipedia