『恋というものは何とおそろしい情熱だろうか。それなのに、世間の嘘つきどもは、恋をあたかも幸福の源泉のように言っている。 スタンダール『パルムの僧院』(岩波書店)』
このフレーズを見たときに、思いついたのは、「いのち短し 恋せよ乙女」です。これは、1915年に発表された「ゴンドラの唄」の冒頭に出てくる歌詞です。
『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱し、大正時代に流行したとされています。
これは、さまざまなシーンで使われ、受け取り方も色々な反応があると推察します。
スタンダールのフレーズは、少々、過激だと感じる部分がありますが、「常軌を逸するとそのようになってしまう」という警告のようなニュアンスを感じます。
「恋をあたかも幸福の源泉のよう」というのは、偏っているのではないかとスタンダールは指摘しています。
つまり、「そればっかりでは無いでしょう」という突っ込みのようにも感じられます。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とばかりに、血気盛んにハンターと化した恋に取り憑かれた人が抱える情熱は、周囲の人が近づきがたいものでしょう。
そして、ターゲットにされた人も受け止め方を間違えれば、やけど程度ではおさまらない可能性も考えられます。
何とかして、その恋が良い形で実るように、周囲は見守るしか無いでしょう。
しかし、現実は、そんなに容易くない。
周囲は、「ドンマイ」と言うくらいの感覚で煽っても、「当事者は、焦りを伴って益々ヒートアップする」なんてループができてしまうこともあります。
恋愛の成就を見ないと、心は冷静さを失うこともあります。
恋に疲れたら、時には、一休みして、英気を養うゆとりを持てると良いですね。
良い出会いがありますように。
「ゴンドラの唄」(ゴンドラのうた)は、1915年(大正4年)に発表された歌謡曲。作詞は吉井勇、作曲は中山晋平である。
芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱、大正時代の日本で流行した。
楽曲
「カチューシャの唄」を手がけた中山晋平により作曲され、同曲同様に大衆の支持を得た。中山によれば、母の死の直後、悲しみに暮れる帰りの汽車の中で「『ゴンドラの唄』の歌詞が語りかけて」きて、「汽車の揺れとともに、自然と旋律がわいてきた」[1]のだという。
歌詞はアンデルセンの『即興詩人』(森鷗外訳)の一節を基にしている[2]。