永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

自分にとって「やりやすい方法」を見つける 基本スキル

同じような結果を出しても、人によって経緯が違うのは不思議です。

例えば、けん玉で、皿にタマをのせたという同じ結果でも、どのような方法だったのかは、毎回違うのです。統計的な分類では、よく似た経緯にグループ化できますが、全く同じ経緯は無いと考えています。

最近では、パソコンのスキルは日常的に求められるようになりました。

また、デジタル機器の発達により、その使い方も多様化しています。

キーボードだけでパソコンを動かしていた初期に比べると、音声入力などは、すごい技術の進歩だと思うのです。

画像からの文字認識なども、音声入力も、精度が飛躍的に伸びています。

それらを使ってみて、自分が一番使いやすい方法を見つければ良いのです。

また、料理なども、できあがりは同じように見えても、作り方は、人それぞれです。

食べる人は、どの様につくられていても、美味しければ良いというかも知れません。

でも、料理をする人は、コンロがガスなのか? IHなのか? が、重要だったりします。

当事者にとって、「やりやすい方法」というものがあるはずです。

基本的に、自分が設定したゴールに向かって、自分の得意な手段でたどり着ければ良いのです。

今の時代は、日進月歩と言うよりも、電光石火の光速で変化しているように感じます。

それをどのように捉えて生かしていくのかも問われます。

新しい技術を追いかけて習得しても良いし、自分がなじんだ方法を極めるもヨシですね。

私は、新しいモノが好きなタイプです。でも、新しいモノが絶対良いとも言い切れないことも体験しています。その様なことから、このタイトルを思いつきました。

中学生の頃、たまたま、家にあったタイプライターをいじっていました。

それは、何かの文章を作成したわけではなく、アルファベット順にタイプする練習をしていたに過ぎませんでした。

でも、パソコンを使うようになり、「あいうえお」で入力するか「ローマ字変換」をするかの決断を迫られました。

ある人は、ローマ字変換は、キータッチが多いので効率が悪いと囁いていました。でも、それは、私に取っては、未知の領域です。

私の決断は、キータッチの回数が多くても、ローマ字変換の方が近道だと考えて、エイヤーと使いだしたことを覚えています。

自分がやりやすい方法は、ミスも減らせます。慣れない方法は、冒険でもあるのです。

この事を踏まえて、今後どうするか要検討ですね。