永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

賢者の生き様 モンテーニュ

『賢者は、生きられるだけ生きるのではなくて、生きなければならないだけ生きる。 モンテーニュ

「賢者」には、特段の使命があるようなニュアンス溢れるフレーズです。

「生きること」には、明確な正解があるわけではなく、人間は創造主である神【主】から魂を授かり、生を受けて生かされている。

そして、それぞれに寿命があるというのが、現実的な要素です。

最近は、「生きる意味」を問う傾向が強くなってきました。

その「?」のヒントになるようなフレーズです。

それもそのはず、現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けたとされる『モンテーニューエセー』の中に記されています。

人間は、受け身に立てば「生きられるだけ生きる」と言うことで、そこに矛盾は無いように感じます。

しかし、「生きなければならないだけ生きる」と記されているのは、賢者の場合です。

その自ら「生きる」とする積極性と自分自身の使命を感じる感性こそが「賢者」の特性のように感じます。

それは、時間の使い方にも関連しているのかも知れません。

SNSや動画サイトを閲覧していると、ついつい時間ばかりが過ぎていき、ヤル必要があることを先送りしているのは、多くの人が経験していることでしょうね。

でも、同じ時間を与えられている人間のはずが、たまに後ろを振り返ってみると、その差が歴然としている現実に愕然として、時には顎が外れそうになります。

その差を生むのは、それぞれの時間の使い方であり、生きる姿勢の違いなのだとつくづく思います。

情報処理能力や表現技術などは、センスも関連していると考えていますが、思考の部分が最大の差を生むのでは無いかと私は考えています。

それは、「賢者」が「賢者」たる所以なのでしょうね。

その動機の部分を見習って、自分ができることに励みたいと感じました。

ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne [miʃɛl ekɛm də mɔ̃tɛɲ], 1533年2月28日 - 1592年9月13日[1])は、16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者[2]。モラリスト懐疑論者、人文主義者。現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けた主著『エセー』は、フランスのみならず、ヨーロッパの各国に影響を与えた。

ja.wikipedia.org


モンテーニューエセー』(白水社